道長支えた「4人の公卿」道長と最も親しいある男 源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成の半生
東洋経済オンライン / 2024年5月19日 7時50分
そのうえ、天元5(982)年に姉の藤原遵子が円融天皇の皇后となったため、公任は皇后の弟となり、その3年後の寛和元(985)年には、正四位下となった。
ただ血筋が良かっただけではなく、和歌・漢詩・管弦において優れた才能を発揮。その有能ぶりに、道長の父の兼家が「どうしてあんなに優れているのだろうか。うらやましい限りだ」と嘆いた逸話が有名である。
兼家が「私の子どもたちが、その影さえ踏むことができないのが、残念だ」と嘆くと、ほかの兄弟がうつむくなか、「影を踏むことはできないでしょうが、その面を踏んでやりましょう」と強気に出たのが、道長であった。
だが、それだけ有望視された公任も、兼家が企てた「寛和の変」によって、花山天皇が出家し、一条天皇が即位すると状況が一変する。父の藤原頼忠は関白を辞任。姉の藤原遵子も皇子を産めないまま、皇太后の地位には、兼家の娘で一条天皇の生母となる藤原詮子が就くことになった。父も姉も失脚した公任は、道長に追い抜かれることになる。
とはいえ、公任にわだかまりはなかったようだ。道長邸の改築を伴う祝宴に参加したり、一緒に紅葉を観にいったりして、その後も交流を深めている。
一方の道長も、かつては「その顔を踏んでやる」とまでいった公任を重用。公任の優れた芸術的才能を高く評価しながら、権大納言に昇進させている。
ちなみに、四納言のなかで、最も長生きしたのは公任で、76歳まで生きた。
道長に常に寄り添った藤原斉信
自ら関白になることは諦めて、道長を支えた公任だったが、1歳年下の親しい友人だった藤原斉信には負けたくなかったようだ。斉信に出世で抜かれると、一時期は参内を辞めてしまっている。
そんな斉信は、太政大臣の藤原為光(ためみつ)の次男として、道長と同じく名門・藤原北家に生まれた。頭脳明晰で、立ち居振る舞いも洗練されていたとされる斉信。清少納言は『枕草子』でこう評している。
「物語に登場するような、麗しい貴公子のようだった」
長徳2(996)年には参議に任命され、道長が政権を握ってしばらくすると、権中納言へと昇進を果たす。だが、そのときに兄の藤原誠信を抜いてしまったことで、一悶着あったらしい。
『大鏡』によると、誠信は弟の斉信に「今回は昇進を希望する申請をするな。私が昇進を希望するから」となんとも情けない命令をしたらしい。斉信がそれに従うと、道長から「昇進を希望しないのか」と言われたので、斉信は「兄が申請するのですから、どうして私が希望を申し上げることができましょうか」と返答。すると、道長は次のように伝えている。
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