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実は「世代間ギャップが大きい国」だった日本 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」幻影からの脱却

東洋経済オンライン / 2024年5月20日 9時30分

 私はこれはむしろ望ましいことと考えている。そして日本にいま求められるのは、“集団で一本の道を登る”ようにひたすら「拡大・成長」を求めた高度成長期とは異なる、「成熟社会の豊かさ」の構想だろう。

ここではこうした話題について、2023年に刊行した『科学と資本主義の未来』での議論を発展させつつ、「日本像の再構築」という関心を土台に、“「経済大国」から「アニミズム文化・定常文明」へ”という大きな展望も視野に入れながら、幅広い角度から考えてみたい。

日本は世代間のギャップが大きい国

先ほど「世代間のギャップ」という点にふれたが、ある意味で日本ほど、価値観や行動様式に関する世代の間のギャップが大きい国は珍しいのではないかと私は思ってきた。

その理由は簡単で、それは日本という国が、“アジアの中で最初に近代化そして資本主義化・西欧化という変化を成し遂げ、急速な「追いつけ・追い越せ」型の発展を経験すると同時に、多くの矛盾に直面し、その結果、ある時期からは急激な低成長への移行と高齢化そして人口減少の道を歩むことになる”という、特異な発展パターンを経験してきたからである。

こうした社会的変化ないし社会変動の大きさは、日本の人口トレンドに象徴的に示されている。つまり明治以降の日本の人口変化のグラフはまるで“ジェット・コースター”のような形状となっており、明治維新以降の急速な人口増加およびそれに伴う経済規模の急拡大と、2008年のピーク以降の、それまでとは真逆の人口減少そして経済停滞という、極端な形をとっているのだ。

そしてこれだけ経済社会の変化率が大きければ、そのことは各々の世代が生き、経験してきた時代の社会的状況が際立って異なることを意味するから、自ずとそれは日本における「世代間のギャップ」の大きさにつながることになる。

ここで若干個人的な述懐を記すことをお許しいただければ、私は1961年生まれで、就職した頃、今ではほぼ死語となっている“新人類”と呼ばれた世代に属する人間である。念のため記すと“新人類”とは、それより上のいわゆる団塊世代などとの対比で言われた言葉で、物質的な豊かさがある程度実現された時代に生まれ育ち、「会社への帰属意識が薄い、仕事より個人の志向やプライベートを重視する」等々といった含意で語られたものだった。

そして実際、この後であらためて論じるように、私自身は“団塊世代的”な価値観や行動パターンに対して当時から強い違和感や反発を感じてきたし、実際、さまざまな場面で団塊(およびその前後の)世代の人々とは対立したり衝突したりすることも多かったのである。

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