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「団塊的・昭和的・高度成長期的」思考からの転換期 「人生の分散型」社会に向かうビジョンと方向性

東洋経済オンライン / 2024年5月21日 6時50分

しかしある意味で逆説的にも、団塊世代において性別役割分業はむしろ強固なものとなり、「男性はカイシャ人間(ないし“企業戦士”)、女性は専業主婦」というパターンが浸透し、それに伴って「働いて“稼ぐ”のはもっぱら男性であり、女性はそれに依存する存在」という通念が広がっていった。

念のため記すと、それまでの(工業化以前の)時代においては女性は農業や自営業等において一定の生産労働に従事していたわけであり、したがって団塊世代が生きた高度成長期においては、女性の「就業率」はそれ以前の時代に比べて“低下”していったのである。

ちなみにこの点は、英語でも「男性稼ぎ手モデル(male bread-winner model)」といった表現があるように、工業化の進展という経済構造の変化の中で進んだ事態であり、必ずしも日本だけに限った現象ではない。しかし特に日本の場合、3)で論じたような農村型コミュニティないしムラ社会的な関係性(およびそこでの強い同調圧力)、あるいは先ほど指摘した“集団で一本の道を登る”ような単線的な社会規範のため、男女の役割分担の固定性は他国に比べてきわめて大きくなっていったと言える。

そして皮肉なことに、それもまた高度成長期の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のシステムの一翼を担ったのであり、その“成功体験”の残滓が、そこからの転換をよけいに難しくしてきたのだ。

しかし同時にこれは「希望」でもある。なぜなら先に指摘したように、団塊世代的な価値観からの大きな移行期を経験しつつあるのが現在の日本であり、それは他でもなく、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」的な“成功体験”の記憶が過去のものになっていくことを意味するからである。

経済学者のレスター・サローはかつて、日本を念頭に置きつつ“前の時代の成功者が新しい時代にもっとも適応できない”という趣旨のことを述べていた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の記憶が忘れられていくことは、僥倖あるいはチャンス以外の何ものでもないのである。

「団塊的・昭和的・高度成長期的」思考からの転換を

まとめよう。本稿で4つのポイントにそくして述べてきた“団塊的”価値観や行動様式とは、工業化が急速に進む昭和・高度成長期に適応的だった一つのモデルであり、それは全体として、「国を挙げての経済成長」という単一のゴールを目指して“集団で一本の道を登る”ような社会のありようと対応していた。

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