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「団塊的・昭和的・高度成長期的」思考からの転換期 「人生の分散型」社会に向かうビジョンと方向性

東洋経済オンライン / 2024年5月21日 6時50分

といった、ささいな日常の中での「見知らぬ者」同士の「水平的」なコミュニケーションが以前よりも広がっていると感じられる(逆に、団塊世代的な“先を争う”ような行動が明らかに減っている)。

実は以上のような例は、2009年に出した拙著『コミュニティを問いなおす』の中で、「ヨーロッパなど海外に比べて日本においては見知らぬ者同士のコミュニケーションが非常に少ない」という事例として挙げた類のものだったが、ここ数年、そうした傾向が徐々に変わる兆しを見せている。

一見小さなことであれ、人々のこうした行動パターンが徐々に変化し、先述の「都市型コミュニティ」的な関係性が少しずつ広がり始めていることに私は期待したい。それは最終的には、人々の相互の信頼に関わる「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」や「公共性」といったテーマにもつながっていくだろう。ちなみに以上のような「変化」を強く意識するのは、私が“新人類”という、団塊ないしその上の世代と若い世代の「はざま」に位置するポジションにあるからだと思われる。

1点補足すれば、ここでふと思い出されるのは、劇作家・評論家の山崎正和氏が1984年に刊行した『柔らかい個人主義の誕生』である。氏はこの本の中で、当時(1980年代)の日本は、西欧近代的な“硬い個人主義”でも、従来の日本的な集団主義でもない、個人がゆるく独立しながらつながっていき、かつ(手段的ではない)今という時間を享受できるような成熟した関係性や行動様式にシフトしつつあると論じて、それを「柔らかい個人主義」と呼んだのだった。

山崎氏の議論はひとつの卓見と思うが、いま振り返れば当時の日本は、そうした「柔らかい個人主義」が広がるかなり手前の段階にいて、むしろここで述べてきたような強い「拡大・成長」志向や「集団」志向、「ウチーソト」の区別が支配的な“団塊的”価値観や行動様式がなおはるかに強かったと言えるだろう。そうした団塊的・昭和的・高度成長的な志向性が真に後退していく現在において、「柔らかい個人主義」はその兆しを見せ始めているのである。

男女の役割分担の固定化

“団塊世代的”なパラダイムの最後の点として、「4)強い性別役割固定(“カイシャ人間”と専業主婦)」という点を確認しておこう。

もともと団塊の世代は「戦後世代」でもあり、男女共学も普及し、また“民主主義的”な方向や「個人の自由」も進んでいった時代の潮流の中で、おのずと男女の平等とか同権といったことが広がっていく(はずの)世代としてイメージされていた。

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