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イラン大統領の事故死が中東情勢にもたらすもの 事故陰謀説、中東の武装勢力への支援、国内経済…

東洋経済オンライン / 2024年5月21日 17時0分

亡くなった大統領と外相はともに対外強硬派で、ハメネイ師と意見が完全に一致していた。新大統領と外相も同じく強硬派でありハメネイ師と意見が一致しているので、混乱はないであろう。

体制が整うまでは核問題やパレスチナ和平問題といった外交の重要案件は対応が少し遅れる可能性がある。また新たに信頼関係を築き、交渉が再開されるまでには少し時間が必要となるだろう。

穏健派も国難にあたっては一致団結の方向で動くしかなく、体制安定のために故ライーシ大統領時代に排除され不満を抱いていたハサン・ロウハニ元大統領や、ラリジャニ・ファミリーなどがハメネイ師に召集されると思われる。

しかし強硬派路線に変更はないので、穏健派との協力体制は表面的なものとなり、メディア向けの演出にすぎないであろう。

ここで少し、イランでの穏健派と強硬派の関係を振り返ってみよう。

2015年、当時のアメリカのオバマ大統領が主導して合意された核条約がある(イランの核をめぐる包括的共同作業計画)。この条約は、ハメネイ師をはじめ強硬派には気が進まないものだった。

アメリカのほかイギリスやドイツなど6カ国と合意した核条約のような穏健派による西洋諸国への歩み寄りは、ハメネイ師や革命防衛隊といった強硬派の意向に合致しないものだった。

この核条約交渉当時、イランは強硬派の顔と穏健派の顔をうまく使い分けているようにふるまっていたが、その実は強硬派と穏健派の間に不信感が募り、深い溝ができていた。

イランの穏健派と強硬派

ザリーフ元外相が辞任後に明らかにしたところによれば、2019年のシリア大統領のイラン公式訪問を外相は知らされず、ニュースで知ったそうだ。それほどの対立があったのだ。

訪問中に行われたシリア大統領との首脳会談の場にも同席させてもらえなかった。回顧録『辛抱の力』でザリーフ氏は、「血を流す心、唇に微笑みの8年間だった」と述べている。

そんな苦労をしてなんとか締結した核条約だったのに、トランプ大統領が一方的に条約を破棄し、見返りであったはずの経済制裁解除は反故にされた。イランのアメリカに対する信頼度はゼロになったといわれる。

前述したように、早期選挙が実施されることになったとしても、イランという国は最高指導者が絶対権限を持っている国だ。大統領や外相が通常有する権限を持っていない。

かつて、1979年のイラン革命後の初代大統領となったバニサドル大統領(1933~2021年)が、当時の最高指導者ホメイニ師(1902~1989年)と意見が対立したことがあった。大統領はあくまでも大統領の権限として、考えを実行する権限があると主張した。

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