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戦時に毒ガスを研究「ウサギの島」まさかの実態 戦時中の痕跡があちこちに残っている

東洋経済オンライン / 2024年5月24日 11時30分

そう言えば、飼ってたそのウサギは近所の野良猫に食べられちゃったな〜と少しブルーな思い出が脳の奥の方からにじみ出てきた。

こんなになついてくるなら、エサをあげたいなと思い船着き場で聞いてみると、島内ではエサは買えないのだという。

慣れた人は、ニンジンやキャベツを持参で来ていた。帰りにたしかめたら、フェリー乗り場近くのコンビニエンスストアでカップに入ったニンジンなどを売っていた。

この文章を読んで「大久野島へ行こうかな?」と思った人は絶対にエサを持っていった方が楽しいはずだ。ちょっと荷物になるけど、キャベツを一玉持っていけば、島中のウサギたちにエサをあげてまわることができる。

楽しそうにウサギにエサをあげる人たちをほぞをかむ気持ちで見つめながら島内を回ることにした。

毒ガス資料館で見つけた古い落書き

船着き場の近くに「大久野島毒ガス資料館」というとても興味をそそられる施設があったのだが、9時10分スタートだったので、島を回り終えてから見学することにした。

歩いていくと建物が見えてきた。かなり古びた建造物だがしっかりと残っている。表面は剝離して、鉄筋がむきだしになっていた。

施設の前には、子ども向けのクイズが看板に貼られて出されていた。自転車で島内を回りながらクイズに答えていく形式らしく、かわいらしい自転車のイラストが添えてある。

「サイクルラリーCP2本館横にあるこの建物はなんでしょう? ヒント:何かの貯蔵庫です。本館にはかつて●●●●の製造工場があったよ! 大ヒント:ひらがなにすると4文字だよ!!」

すごい陽気な質問である。

答えは「毒ガス貯蔵庫」って、質問の陽気さにくらべて答えがヘビーだわ。毒ガス貯蔵庫らしく床には丸いタンクを置くための台座が残っている。

柵がしてあって中には入れないのだが、壁には一面に落書きがしてあった。その落書きに書かれた年代が古い。

一番古いのは「49 10/13JFIPJP」と書かれたものだった。

1949年は太平洋戦争が終わり、毒ガスが投棄された2年後だ。処理はかなり荒かったらしく、かなり危険地域だっただろう。

1950年から朝鮮戦争のため米軍が接収したそうなので、下見に来た米兵が落書きしたのかもしれない。

1964~1976年くらいの日本人の落書きが多く見られた。バカは昔からいるのである。

落書きは他の施設にもたくさんあった。

「世界が平和になりますように!!」

「大阪から来たよ!」

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