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消失危機!「輪島塗」は復活できるのか【後編】 「街はまるで時が止まっている…」現地を取材

東洋経済オンライン / 2024年5月26日 8時1分

椀木地などを作る刳物師の池下さん(写真:赤木明登)

2024年1月に発生した能登半島地震。それから4カ月以上たったが、まだまだその深い爪痕は残ったまま。特に被害の大きかった珠洲市や輪島市は倒壊した建物がそのまま残り、再建のメドが立っていない状況が続いている。

この地震で消滅の危機に瀕しているのが、重要無形文化財にも指定されている輪島塗だ。

輪島塗の塗師として活躍する赤木明登氏に現状を取材し、2回に分けてお伝えする(本記事は後編)。

*この記事の前半:消失危機!「輪島塗」は復活できるのか【前編】

輪島から「職人」が消える

「僕のところから独立し、輪島で塗師になった若い子たちが6人いました。けれど、被災をきっかけに5人は他県への移住を決めましたね」

【写真で見る】岸田総理が日米首脳会談前夜「バイデン大統領夫妻への手土産」にも選んだ「輪島塗」

少し遠くを見て、指を折りながら独り言のように塗師の赤木さんが呟く。

「花野くんは金沢へ、福崎くんは兵庫かな。安齋夫妻は千葉へ行ったし、関くんも京都でやると決めた。土田くんは小松へ行ったし、輪島に残ったのは鎌田くんだけかな……」

若い彼らは家族も養わなければならない。壊滅した輪島の復興を待つことなく他県に行くと決めたことは、責められることではなかった。

一方、一緒に器を作っていた木地師たちは、安否確認の連絡もままならなかった。

高齢者の職人は携帯電話を持たない人も多い。連絡がつかずに倒壊した作業場を何度も訪れても、留守で会うことができない状況が続いた。

「一人ひとり訪ねていって、すぐに会えた人もいたけれど、1カ月以上連絡がつかない人もいました。話ができても仕事を続けるか迷っている人も多かった。辞める決断をした人もいた。これでは輪島塗はなくなってしまう。本気でそう思い、できるだけ一緒に仕事をしていた職人の工房や家へ足を運んで、消息を辿りました」

未曾有の被害が起きて、職人が廃業を決心してしまう大きな理由として、輪島塗産業の逆ピラミッド構造があると赤木さんは指摘する。

輪島塗の職人の中でも、木地師の仕事は労働時間の割に賃金が安い。同じ輪島塗の中でも上塗りや蒔絵の職人のほうが賃金も高いし、自分のやりたいことが伝わりやすい。

そんな状況から近年、木地師の成り手が激減。そもそもの産業構造が、下支えをする職人が減るという逆三角形のピラミッドになってしまっていた。

そんな状況下で被災。一気に産業構造が崩れてしまったのだ。

災害を「大変革の芽」に変えて

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