1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

5浪で悟った「身の程」早大卒の彼が捨てた拘り 苦学の道を余儀なくされ、新聞配達を続ける

東洋経済オンライン / 2024年5月26日 7時20分

中学に入ってからも中の上の成績をキープしていましたが、勉強は好きにはなれないままでした。

このころから、勉強をさせようとする親の圧が強くなったようで、それが彼にとってはとてもつらかったそうです。

「小さいころの我が家はそこそこ裕福でしたし、大学に行くのが当たり前だと言われる環境でした。もともと私はぜんそく持ちで体が弱く、体を使う仕事が無理だと思ってくれていたからこそ、勉強して立派な大学に行かせようとしてくれていたのだと思いますが、私にはそれが息苦しくて嫌でしたね」

ホリ・ホーリーさん自身は、高校に進むときも公立の学校に進学したいと思っていたそうですが、大学への進学率を考慮した親の意向もあって、私立高校の受験をすることになります。

中学の教員からは、私立専願のほうが合格しやすいとアドバイスを受けたこともあり、市内の私立中堅高校のみ受験し、合格することができました。

このころの彼は、逸見政孝さんや福澤朗さんが好きで、アナウンサーになりたいと思っていたそうです。

そのため、彼らが出た早稲田大学に漠然とした憧れがあり、勉強もそれなりに頑張っていました。その一方で、高校に入っても親からの「勉強しろ」という圧は続いたため、ホリ・ホーリーさんは、この3年間で親元を離れるための方策をひたすら考えるようになります。

「とにかく1人になりたかったんです。そのために東京に出たいと思っていたのですが、当時、父親が勤め先を辞めて、家計がきびしくなっていました。家出する手段を考えていましたが、生活費も生活していくあてもなかったので、どうしようかと考えていました。

そう思い悩んでいた高校3年生のときに見つけたのが、新聞配達をしてお金をもらいながら予備校に通える、朝日新聞の奨学生募集の記事でした。浪人しても、予備校生でも採ってもらえるので、落ちたときのことを考えてすぐに応募しました」

「落ちたときのこと」と語るように、高校3年生の段階ですでにホリ・ホーリーさんは浪人を覚悟していたようです。

高1の段階で理数系を諦めて文系3教科の勉強に絞ったものの、高校に入ってからの成績は真ん中より下くらいに下降。当時の学力は早稲田には到底届かなかったようで、模試の偏差値は50未満でした。

「早稲田・慶応・上智・立教・青学……どこの大学もE判定でした」と語るホリ・ホーリーさんは、予備校講師の吉野敬介さんに憧れていたこともあり、当初は吉野さんの出た國學院大學を目指していたそうです。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください