1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

中山秀征『夜もヒッパレ』に見たプロの仕事術 安室奈美恵らと作り上げた「妥協なき華やかさ」

東洋経済オンライン / 2024年5月29日 16時0分

僕の役割は、三宅裕司さんとMCをしながら、ゲスト歌手のハーモニー部分を歌う"ハモラー"担当。

毎週、スタジオで、「子ども時代から憧れていた〈音楽バラエティ番組〉に出ている!」という高揚感と、「憧れの場でミスはできない!」という、ヒリヒリするような緊張感を味わっていました。

緊張感の理由は、その収録方法にもありました。

この番組はトークパートと歌パートを別々に収録する「ブロック撮り」ではなく、台本に沿ってオープニングから順番に収録する「順撮り」で行われていたのです。

OAと同じ流れのなかで高い完成度が求められる。テレビ収録でありながら、毎週、ステージショーを収録しているようなものでした。

だから「失敗も面白ければOK」というバラエティのノリは通用しません。音が少しズレたり、ダンスの振りが違っていたりすると収録は止まります。

そして、大勢の出演者やスタッフ全員が見ている中、OKが出るまで何テイクもやらなければいけないという悲惨な状況に……。やり直しができる分、この点はステージショーより過酷です。

僕の場合、ハモり部分の楽譜とテープをもらうのが、収録の2、3日前。『DAISUKI!』のロケの合間に、絶対音感をもつ松本明子さんにおもちゃのピアノで音をとってもらいながら練習をして収録に臨むことも、しょっちゅうでした。

最悪の場合、収録終わりに別室に呼ばれて、居残りで音録りなんてこともありましたし……。とにかく毎週ヒヤヒヤでした。

他のバラエティ番組でよく顔を合わせていた出川哲ちゃん(出川哲朗)や、ダチョウ倶楽部のみんなから「『ヒッパレ』には出たい。でも出るのは怖いよ。だってスタジオの緊張感がハンパないからね」とよく言われました。

出演者、スタッフ、全員がプロ、妥協を許さない空気が番組づくり全体に漂っていました。

「ヒッパレ」は、その後増える「芸能人カラオケ番組」の"元祖"と言われるようになりましたが、僕の捉え方は少し違います。

この番組はきっちり稽古して、完璧なショーをお茶の間に届ける、テレビ創成期から続いた「音楽バラエティ番組」の系譜を受け継ぐ"最後の番組"だという位置づけです。

熱と憧れが生み出すもの

『THE夜もヒッパレ』の放送がスタートした1995年は、野茂英雄さんが"憧れの"MLBのマウンドに立ち新人王を獲得した年です。

この時、すでに芸能界で十年選手だった僕も、「ヒッパレ」の現場では、まるで新人のような気持ちになっていました。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください