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8年で11軒閉店「ラーメン屋の墓場」で繁盛した必然 「日本一アンチが多い」店主は何を考えてきたか

東洋経済オンライン / 2024年5月29日 11時40分

新規客が来ない悩みを抱えながらも、りゅう社長は「SUZUNOKI」を続けていく。30歳になったら勝負をかけるという何となくのビジョンを掲げながらひたすら耐え続けた。

そんな中でコロナ禍に突入。感染症のパンデミックは歴史を変えるレベルの影響を各所に及ぼし、ラーメン店もその在り方を問われた。ここでりゅう社長は一つの決断をする。

「ここを境にチャーシューを乗せることをやめました。コロナで世界中がパンデミックになるという予期せぬ出来事が起こり、これからは戦争なども起こる危険性も考えました。すると翌年2月にはロシアのウクライナ侵攻が始まり、一気に物価高騰になったんです。物価高騰を見越したうえでチャーシューをなくしておいて良かったと思っています」(りゅう社長)

リピーターで支えられていたということもあり、チャーシューがなくなってもそれほど批判は起こらなかった。

いわくつきの場所に移転を決意

その後りゅう社長に思わぬチャンスが舞い降りる。大宮の駅前にできるビルに出店しないかというオファーが来たのである。移転を決心し、契約書にハンコを押そうとしていたその日、東京・池袋の空き物件の話が舞い込んでくる。

池袋の西口に位置するその物件は、8年間で11軒のお店が閉店に追い込まれたといういわくつきの場所だった。その中には大手が手がけたお店もあり、今まで誰がチャレンジしても続かない物件だったのである。

りゅう社長は大宮の駅前ビルの契約を断り、池袋に移転することにする。

「難しいことにチャレンジした方が面白いだろうと思い、迷わず池袋を選びました。完全沈没する可能性もありましたが、後輩とここで失敗したら飲食業を辞めると誓い合い、出店を決意しました」(りゅう社長)

店の前に「謎の仕掛人 この場所に新しいラーメンスタイルを創る男」という看板を掲げ、内装工事に入った。すると、オープン前から多数のネットアンチがネット上を騒がせ始めた。

「『こんな場所で独学素人が上手くいくわけがない』と2ちゃんねるや5ちゃんねるに大量にアンチコメントが書かれたんです。誰も上手くいかなかった物件だったこともあり、お手並み拝見という意味だったんだろうと思います。

なんとオープン前に誰一人うちの油そばを食べていないのに6000件のコメントが入ったんです」(りゅう社長)

2022年2月、「油そば 鈴の木」がオープンしたその日に、Googleのお店のページがすぐにでき、☆1が大量に書き込まれた。その後、どんどん口コミが悪くなり、3カ月目でさすがにこのままでは厳しいと判断した。

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