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「95年目の新勢力」が作る1900馬力のハイパーカー ピニンファリーナ「バッティスタ」が日本上陸

東洋経済オンライン / 2024年6月2日 12時0分

箱根を走った「バッティスタ」(写真:Automobili Pininfarina)

世界中のクルマをデザインしてきたイタリアのカロッツェリア・ピニンファリーナが、新業態としてアウトモービリ・ピニンファリーナ(Automobili Pininfarina)を設立。自動車メーカーとして、新たなスタートを切った。

【写真】デザインも内装もまさにハイパー!3億7500万円のバッティスタ

そして、第1弾モデルが、1900馬力もの高出力をうたう電動ハイパーGT「バッティスタ」だ。

このクルマは、予想をはるかに超えていた。「ロケットに車輪をつけたのか?」と思うような凄まじい加速を体験させてくれたのだ。

いったいピニンファリーナは、どんな思惑でクルマづくりを始めたのだろうか。2024年5月に日本で行われた発表会と試乗会のタイミングで、背景にある思いをたずねると、意外な答えが返ってきた。

ピニンファリーナという老舗

バッティスタという車名は、ピニンファリーナの創業者、バッティスタ・ファリーナからの命名だ。

バッティスタは1930年に自動車メーカーのために車体をデザインし、製作もするカロッツェリアを創業した張本人で、ニックネームが“ピニン”だったことから、社名を当初は「ピニン・ファリーナ」に。のちに一族は、名字を含めて、「ピニンファリーナ」の一語に変更したのだった。

【写真】超弩級スポーツカー「バッティスタ」の全貌を見る(60枚以上)

大河ドラマなみの壮大な物語にならないよう、クルマのバッティスタが実現にこぎつけるまでの流れを、手短に説明しよう。

バッティスタ・ファリーナ(1883~1966年)は、当初より、車体にとどまらず「クルマを作りたい」という希望を持っていたという。次に会社を引き継いだセルジオ・ピニンファリーナ(1926~2012年)の時代にも実現せず、セルジオの次男パオロ(1958年生まれ)がグループの会長になってようやく結実する。

2015年に、インドのコングロマリット、マヒンドラが経営に参画し、アウトモービリ・ピニンファリーナが設立されたのだ。

従来のデザイン会社としてピニンファリーナも、B to Bのビジネスを継続。その中には、これまでどおり、技術や新素材などの提案も含まれる。ピニンファリーナの名は、今後もこの2つの会社が使うことになるという。

バッティスタが2019年のジュネーブ自動車ショーで大きな話題を呼んだのを、私はよく覚えている。ピニンファリーナが自ら自動車を作ったことは、驚きを持って受け入れられたのだ。

COVIDによる遅延を経て

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