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授業サボる学生だった私が教授になって思うこと 「人間が成長する」とはどういうことなのか?

東洋経済オンライン / 2024年6月2日 11時0分

効用の最大化という言葉にも悩まされた。効用とは、自らの満足の度合いのことだ。私たちは、満足度を最大化するのが「経済的に合理的な行動だ」と教わった。だがその考えを聞くなり、私は「人が自ら死を選ぶのも満足の最大化なのか?」と思った。

確かに、楽になりたくて、人は命を断つのかもしれない。でも、それを、満足の度合いを最大にするための合理的な行動なのだと言われてもピンとこない。違和感はこの歳になっても変わらない。専門用語で「個人の生涯効用の期待値が一定の水準を下回ったから自殺したのだ」と聞かされても納得できない自分がいる。

なぜ、その人はそんな「非合理的」にしか見えない選択をしたのだろう。なぜ死ぬことで満足を覚えるのだろう。現実を「効用の最大化」という言葉で片づけるのではなく、なぜそんな悲しい現実が起きるのかを考えてみたい、と私は思った。

一時が万事こんな具合で、私は、次第に授業に出なくなった。振り返れば、もったいないことをしたと思う。入り口の違和感さえ我慢すれば、経済学という道具を使って違う世界が見られた気がするし、経済理論以外にも、もっと面白い講義があったはずだ。

本くらい読まないと母に申し訳ない

ただ、学校をいたずらにサボっていたわけでもなかった。母子家庭なのに大学に行かせてもらっていたから、本くらい読まないと母に申し訳ない、と思った。私は、経済学の教科書の代わりに古典を読むこととした。これが私の「まじめ」な部分だ。

みなさんはPh.D.という言葉を知っているだろうか。日本語で言えば博士号である。Doctor of Philosophyの略であり、Philosophyとは哲学を意味する。多くの学問は哲学から派生している、というわけだ。

この事実を知ったのはずっとあとだったが、学問の原点は哲学だという直感は正しかったようで、私は、無鉄砲な大学生らしく、哲学の古典を読むことにした。

最初に買ったのは、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』だった。ところが、当たり前だが、まったく歯が立たず、さっぱり理解できない。そこで助けを求めたのが三島憲一の『ニーチェ』という本だった。

この歳になると、古典を解説書に頼るのは邪道だと思うけれども、ニーチェの生い立ちに迫り、どのような思想を持っていたのかを何となく知ってから読み直すと、少しだけ意味がわかったような気になった。

この成功体験は大きかった。私は、それ以来、図書館から本を借りて、粘り強く古典を読むようになった。その後も何度か解説書に助けられたが、納得したり、疑問を感じたりしながら、読み進める作業はとても愉快なものだった。

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