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共学校にも実社会にも潜む「男子校の亡霊」とは 男子校を潰しても男女平等にはならないワケ

東洋経済オンライン / 2024年6月7日 11時30分

権威の象徴としてのマッチョな男性像を、学校という組織が宿命的にもつ権威主義的な雰囲気が維持・強化していると指摘するイギリスの本がある。『男の子は泣かない 学校でつくられる男らしさとジェンダー差別解消プログラム』(著/スー・アスキュー、キャロル・ロス、訳/堀内かおる)。1980年代のイギリスが舞台だ。

たとえば、生徒たちの私語が多くて困っている女性教員の教室に男性教員が乗り込んで怒鳴って一喝する。このような方法で、困難を抱える女性教員を権威主義的な男性教員が“助ける”と、そのことによって、女性蔑視の構造はさらに強化されると指摘する。男子校だけでなく、共学校でもあることだ。

イギリス生まれのアーティストでテレビ司会者のグレイソン・ペリーは著書『男らしさの終焉』(訳/小磯洋光)で、「異性愛白人ミドルクラス男性」のことを「デフォルトマン」つまり「社会の初期設定」と皮肉っている。彼らは女性と同性愛者と非白人を無意識的に下に見る。彼らの価値観でいまの世界は構築されているというのだ。

その価値観では要するに、“いい家”に住めて、“いい車”に乗れて、“いいレストラン”で食事ができて、“いい女(女性蔑視へのアンチテーゼの文脈でここではあえてこの表現を使わせてもらう)”を連れて歩けることが成功の証とされる。競争社会における、いわゆる“勝ち組”のイメージだ。

その価値観を前提にして、男女別学が主流だった時代には、男子向けの教育は「生産・仕事・競争」に偏っていた。女子向けの教育は「再生産・家庭・ケア」に偏っていた。世界的な共学化の流れのなかで、もともと男性のために計画され、多分にジェンダー・バイアスを内包した教育が、すべてのひとに施されるようになった。

世の中のすべてのひとが、「再生産・家庭・ケア」よりも「生産・仕事・競争」を重視する価値観を内面化してしまう。その結果が、現在のいびつな社会を形成しているといえるのではないか。すなわち、教育をされればされるほど、エッセンシャル労働ともいわれるケア労働の軽視、家庭や地域社会の弱体化、そして少子化が進行する……。

共学校のなかにいまだに「旧来の男子校の亡霊」がそれとは気づかれないように擬態して暗躍している。見えにくいぶん、たちが悪い。その結果ジェンダー・バイアスが社会に巧妙に行き渡る。拙著ではそのことを指摘する学術論文にも触れている。

これこそが、日本ではすでに9割の高校が共学になっているのになぜ男女平等社会にはなっていないのかという問いに対する根本的な答えであるように思われる。

男子校は包括的性教育の先駆者たれ

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