1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. 経済

今はなき「小田急モノレール」レア技術の塊だった 「向ヶ丘遊園」への足、日本に2例だけのシステム

東洋経済オンライン / 2024年6月7日 6時30分

名鉄は翌年に犬山モノレール(アルヴェーグ式)の開業を予定しており、まさに着工しようとしていた時期だった。小田急も、わざわざ専務を派遣しているくらいだから、この時点でモノレールに関心を持っていたのは間違いない。

小田急はなぜロッキード式を採用したのか

小田急が向ヶ丘遊園モノレール(向ヶ丘遊園駅―向ヶ丘遊園正門間・約1.1km)の敷設免許を申請したのは、それから3年半後の1964年11月だった。それまで来園者の輸送を担っていた蓄電池式の「豆電車」を道路改修工事の関係で廃止せざるをえず、これに代わる交通手段が必要になったのだ。

当時、モノレールの規格として有力視されていたアルヴェーグ式ではなくロッキード式が採用されたのは、建設費が安かったのが理由だと言われている。小田急の資料によれば工事費は約2億4000万円であり、豆電車の線路敷をそのまま活用したことを考慮してもなお、非常に安く感じる(参考:同時期に開業した横浜ドリームランドモノレール5.3kmの総工費は25億円)。

導入の経緯について、小田急電鉄企画室課長(当時)の生方良雄氏が『鉄道ピクトリアル』誌(1970年4月号)に「(川崎航空機が)岐阜工場で試験線をつくりテストをしたが、後にそれを小田急が買い、向ヶ丘遊園の豆電車の代替として設置した」と記している。設備を含め、どこまで転用されたのかは不明だが、少なくとも車両は、客室扉の配置などに若干の改造を行ったうえで試験線用のものを転用している。おそらく安く譲受されたのだろう。

加えて、当時の鉄道業界が、鉄車輪式のロッキード式を高く評価していたことにも目を向けるべきだ。向ヶ丘遊園の来園者輸送は、イベント時には相当の乗客数が見込まれ、また、ゴムタイヤ方式の札幌地下鉄も開業前だった状況を考えれば、技術的な実績に基づく安全性を重視した判断がなされたと見るべきであろう。

こうして向ヶ丘遊園モノレールは1966年4月に開業したが、当時、モノレールには逆風が吹いていた。まず、1964年9月に先行開業していた東京モノレールが極度の経営不振に陥っていたのである。建設費が当初予定を大幅に超過したことから、高額な運賃を設定せざるを得ず、利用者が伸び悩んだのが原因だった。

また、ロッキード式を採用して1966年5月に開業した姫路モノレール(姫路駅―手柄山間1.8km)も、姫路大博覧会が開催された開業初年度こそ年間40万2967人の利用者があったが、1967年度は33万4517人、1968年度は24万5718人と大きく落ち込み、当初想定された年間100万人には遠く届かなかった。建設借入金の返済のために毎年1億円以上を市の一般会計から支払わなければならず、早くも姫路市の「お荷物」と言われるようになっていた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください