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今はなき「小田急モノレール」レア技術の塊だった 「向ヶ丘遊園」への足、日本に2例だけのシステム

東洋経済オンライン / 2024年6月7日 6時30分

さらに、同じく1966年5月に開業した横浜ドリームランドモノレールは、車両設計の不備などから、開業後わずか1年半で運行休止の措置がとられた(2021年10月6日付記事「運行わずか1年半「幻のモノレール」の経営実態」)。

製造会社が解散、姫路は路線廃止

このような事情から、モノレールはモノにならないという雰囲気が業界に広がり、1964年6月に設立されたばかりの日本モノレール協会は、早くも「会費収入の面に危機が現われた」(『日本モノレール協会 10年の歩みをふり返って』)という。

こうした状況に、運輸省からは「モノレールは機種が多すぎるが、これをどうするか」「羽田のモノレールなどをみてもまだ相当に改良を加えないととても都市交通に使うにはだめである」という考え方が示された。これを受けて、モノレール協会が、運輸省からの受託で「都市交通に適したモノレールの開発研究」(1967年度)に取り組むことになった。

この研究を通じてモノレールの規格が統一され、今後建設されるモノレールは「ゴム車輪を採用」(同研究報告書)するという方向が決定づけられた。すなわち、跨座型に関しては、二軸ボギー台車と小径のゴムタイヤを組み合わせた日本跨座式という新たな車両規格が生み出され、これに基づく車両が1970年3月から開催された大阪万博の会場周回路線で運行された(懸垂型はサフェージュ式を標準化)。

日本跨座型が統一規格と認定された結果、日本ロッキード・モノレールはモノレール事業からの事実上の撤退を余儀なくされ、1970年に解散。また、営業不振に加え、部品供給も途絶えた姫路モノレールは、1974年に営業休止に追い込まれた(正式廃止は1979年)。

一方、同じロッキード式でありながら、向ヶ丘遊園モノレールは2000年2月に運転休止されるまで、30年以上の長きにわたって運行が継続された。向ヶ丘遊園来園者の利用が安定的に見込めたのに加え、鉄道会社だけに、部品をある程度、自社工場で内製できたものと思われる。

しかし、最後は老朽化により台車に亀裂が入り、修理に多額の費用がかかることと、向ヶ丘遊園の来園者数も先細りになっていたことから、惜しまれつつ引退となったのである。

運転士に聞くモノレールのありし日

向ヶ丘遊園モノレールが実際にどのように運用されていたのかについて、小田急電鉄主任運転士の吉田博之さん(60)に話を聞いた。吉田さんは1982年に入社後、駅務係、車掌を経て運転士になり、1995年からモノレール運転の教習を受け、約1年間モノレールの運転業務に携わった経験がある。

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