1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「引退から50年」長嶋茂雄は一体何が凄かったのか 監督時代も知らない人に伝える唯一無二の野球人

東洋経済オンライン / 2024年6月7日 14時0分

筆者はこの時代に少年期を過ごしたが、近所で巨人の「YG」以外の野球帽を見かけたことはなかった。1965年から、巨人は空前のV9(リーグ戦、日本シリーズ9連覇)を達成する。そんな中、1968年に始まったアニメ「巨人の星」によって、子どもたちの「巨人人気」も決定的なものになる。

民放のプロ野球中継は、ほぼすべてが「巨人戦」。他のカードはローカル局やNHKが時々放映するだけ。巨人戦の視聴率は常時20%を超え、テレビ局にとってはキラーコンテンツとなった。

巨人を除くセ・リーグ5球団は、本拠地での「巨人戦」の放映権料だけで採算が成り立ったと言われる。巨人戦がなかったパ・リーグはほとんどが赤字で、親会社の補填を受けていた。

こうしてプロ野球は「ナショナルパスタイム(国民的娯楽)」になった。まさに長嶋茂雄が巨人に入団した1958年を契機として、日本の大衆文化は音を立てて変わったのだ。

王と長嶋の「ONコンビ」

長嶋の1年後に入団した王貞治が、一本足打法になってから13年連続本塁打王になるなど、圧倒的な活躍をする一方、長嶋は記録的には王に見劣りしたが、人気では負けなかった。王と長嶋、ONコンビは日本スポーツ界の最高のスターだった。

南海の大捕手で長嶋茂雄と同学年の野村克也は「王や長嶋はヒマワリ。私は日本海の海辺に咲く月見草だ」と言ったが、巨人、ONと他のプロ野球選手はそれほどの差が開いていたのだ。

その長嶋にも引退の時が来る。巨人のV9が途切れた翌1974年、長嶋茂雄は17年間の現役に別れを告げ引退する。

涙にくれながら球場を一周する長嶋の雄姿は、夕方のテレビで中継され、当時中学生の筆者もテレビで見た記憶がある。

長嶋茂雄の楽天的な明るさ

長嶋茂雄がなぜこれほど人気があったのか? それは活躍に加え、天性の楽天的な明るさにあったと思う。

長嶋の前の大スター、川上哲治は「彼は親孝行だからヒットが打てたんです」と語るなど修身の教科書のようなキャラだった。また同僚の王貞治は「真剣を振り抜いて打撃の神髄を極めた」求道者だった。

しかし長嶋茂雄は、いつも楽しそうに野球をした。ベースを踏み忘れて本塁打をフイにしたり、ストッキングを片足に2枚とも履いたり、おかしな逸話に事欠かなかった。そういう意味でも、長嶋はかつてないタイプのスーパースターだった。

引退後、長嶋茂雄は巨人軍の監督を2期15シーズンにわたって務め、リーグ優勝5回、日本一に2回輝いているが、就任1年目には巨人史上初の「最下位」という屈辱も味わっている。「監督長嶋茂雄」の能力については、議論の余地があるところだろう。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください