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「引退から50年」長嶋茂雄は一体何が凄かったのか 監督時代も知らない人に伝える唯一無二の野球人

東洋経済オンライン / 2024年6月7日 14時0分

しかし引退後の長嶋は、ユニークすぎる言動が「長嶋語」としてもてはやされるようになる。

・キャンプで「君、僕と同じ誕生日だって?で、何日なの?」
・「僕はバースデーホームランを1本も打ったことがないんだ、なぜかなあ?(長嶋はプロ野球シーズン開幕前の2月20日が誕生日)」
・ロサンゼルス五輪で、カール・ルイスにいきなり「へい、カール!See You Again!(さよなら!)」「前に会ったな」と言うつもりだったらしい。
・「鯖という漢字は、魚篇にブルーですね」
・ふがいないプレーをした外国人選手に「ユーはそれでもマンか!」
・チャンスで「よし!打つと見せかけてヒッティングだ!」
・好きな数字は?「それはもちろん、ラッキーセブンの『3』ですよ」


・監督復帰会見で「12年間漏電させていただきまして(充電というつもりだった)」

脳梗塞で倒れてからメディア露出は減少

こうした「長嶋語」は、長嶋茂雄を神聖視した現役を知る世代ではなく、その後のポップカルチャー世代にもてはやされた。筆者もその世代で「長嶋語」をコレクションしたものだ。中には長嶋と関係のないジョークも交ざっていたが「長嶋なら言いそうな」言葉も含め、若い世代にもてはやされた。こうした「消費のされ方」も長嶋茂雄ならではだろう。

2001年、2度目の巨人監督を退任した長嶋はアテネ五輪野球日本代表の監督に就任。しかし2004年3月4日に脳梗塞で倒れた。回復したものの以後は、メディアへの露出は極端に減り、半世紀以上続いた「長嶋茂雄ブーム」もこれで終焉か、と思われたが……。

最近、メディアでは「長嶋」の2文字を目にする機会が激増している。長嶋茂雄の長男の長嶋一茂が、出演すれば確実に視聴率が稼げる人気タレントになったのだ。

一茂は、1966年、茂雄の長男として生まれる。立教大学からドラフト1位でヤクルトに入団、のち父親が監督を務める巨人に移籍したが7年、通算18本塁打で引退。

芸能界に進み、一時は「おバカキャラ」のようになったが、テレビのニュースショーで「意外にしっかりしたコメントをする」こともあり、タレントとしての幅を広げていく。

今も「消費」されている長嶋茂雄

「皇室に次いでよく知られた家庭に生まれた」毛並みのよさ、父親を彷彿とさせる若々しく精悍な風貌もあって、好感度もアップした。

年配の人は一茂と父親のイメージをオーバーラップさせる。若い世代は「すごいお父さんなんだって?」と茂雄に関心を寄せる。

プロ入りから66年、長嶋茂雄はさまざまに「再生産」されながら今も「消費」されているのだ。

2021年、長嶋茂雄はプロスポーツ界では初めて文化勲章を授与された。昭和の大衆文化を担った長嶋にとってまことにふさわしい。こんな野球人はもう出てこないだろう。

広尾 晃:ライター

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