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植民と移民の対立こそアメリカ大統領選の争点だ アメリカ社会の価値「寛容さ」は残るのか

東洋経済オンライン / 2024年6月8日 8時0分

しかし、それは理念としての神話にすぎない。ただ、人種差別や民族差別、移民排斥といった現実の歴史は、その普遍性に疑義を投げかけている。

なるほど、アングロサクソン的信条が普遍的であり、それが啓蒙主義の延長になるのだという考えは、アメリカン・ドリームを支えてきたアメリカの精神「アメリカン・マインド」だといえる。

それは、アメリカはあれこれの国家ではなく、まったく自由な新しい人々の契約によってできた自由な個人の集合体としてできた国家だという理念だ。

アラン・ブルームは、『アメリカン・マインドの終焉』(菅野盾樹訳、みすず書房、1988年)の中で、寛大さが招いたアメリカン・マインドの終焉という議論を展開している。

彼のいうアメリカン・マインドは、自由と平等という理念ではなく寛大さだというのだ。何ごとにも排他的ではなく、それを許す寛大さ、それこそアメリカをつくってきた理念だという。それが、行きすぎると、とんでもない結果をもたらすというのだ。

この書物は1960年代以降に変化した大学のあり方への批判の書であり、また学園紛争の空虚さを批判する書でもある。それはアメリカが培ってきた寛大さが横滑りし、個人個人の勝手な自由へと進んでいったことへの批判なのである。

アメリカの寛大さの中には、アングロサクソン的寛大さの伝統があり、それが建国の信条の中にある。それはよそから接ぎ木しても変わりようのない、根幹をなしている。アメリカにはアメリカ流のマインドがあるというのだ。

「国家、宗教、家族、文明の観念、そして無限の宇宙と個人とを媒介にしながら全体における位置という観念を提供してくれたあらゆる感情や歴史の力――いまやこうしたものすべて合理化されてしまい、有無を言わさぬかつての力を失っている。アメリカを国民共通の事業として体験するものはもはや誰もいない。アメリカは個人にすぎない人々が過ごしている枠組みとしか感じられず、人々は孤独のうちに取り残されている」(84ペ―ジ)

当然ながら寛大さ、すなわち寛容という概念すら、正義という言葉と並んで、きわめて西欧的、キリスト教的理念であるといえる。この理念をキリスト教徒でない者が、理解するのは難しい。

アメリカ社会の衰退と分断

もちろんアメリカ社会の分断は、信条の問題だけでなく、アメリカの世界における覇権の衰退という問題と深く関係している。アメリカが、世界に君臨する豊かな国家であれば、それがアングロサクソン的であれ、なんであれ、人々は唯々諾々と従うはずである。

しかし、今のアメリカはそうではない。アメリカのエリートが、アングロサクソン的寛大さを高らかに唱えようと、また多民族主義的寛大さを唱えようと、胃の腑の欲望を満たすことで精一杯である限り、それに関心を持つことはないであろう。

しかしアメリカの分断が、ハンチントンやブルームといったエリート層の懸念であるかぎり、一般の庶民にそれはあまり響いてこない。分断は、一方で貧困層と富裕層の分断であることも間違いない。

今や貧困層にも植民者の血を引くものが多くいる。彼らがアングロサクソン的な信条の体現者であることは間違いない。その彼らが、アメリカで苦悩しているのである。

分裂の原因は、実際には信条の問題だけでなく、アメリが保証したはずの富の分断の問題であることも、けっして忘れてはならないだろう。その問題が2024年11月の選挙でどう反映されるかが、大統領選を左右することになろう。

的場 昭弘:神奈川大学 名誉教授

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