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「トランプ有罪」判決は大統領選に何をもたらすか 「口止め料裁判」ですべての陪審員が有罪の評決

東洋経済オンライン / 2024年6月8日 8時30分

そのうえ、トランプさんは公判中にさまざまな不規則発言を発して、裁判官や検察官、証人や陪審員を侮辱している。こんな風に心証を害してしまうと、弁護側も納得したうえで選ばれた「党派色がないはず」の12人の陪審員が、「瞬殺」で有罪を宣告してしまった。限りなく「自業自得」だったんじゃないだろうか。

日米での「正義」についてのギャップはかくも違う

さて、陪審員制度というと、思い浮かぶのは映画『十二人の怒れる男』(Twelve Angry Men)である。1957年のこの映画は、今見るとどうにも古臭い。モノクロであるし、喫煙シーンが多いし、そもそも登場人物は全員白人男性である。それでも「正義とは何か」についての日米のギャップ(隔たり)を知る際に、この映画は素晴らしいテキストではないかと思う。

この映画の陪審員が扱うのは、18歳の少年がナイフで父親を刺した、という単純な殺人事件である。暑い夏の日の密室に12人が集められ、審理が始まる。中には「早く終わらせて、ヤンキースの試合を見に行きたい」という不埒な者もいる。1回目の評決の結果は、有罪11人に対して無罪が1人だけであった。

「やれやれ」という感じで審理は続く。検察の証拠に疑いを抱く第8番陪審員(ヘンリー・フォンダ)は、粘り強く議論を続けていく。やがて他の陪審員たちも少しずつ心を動かされ、「無罪」に転じていく。

ただし、映画は「真犯人」を明かすわけではないし、少年の容疑は最後まで完全に晴れるわけではない。それでも「疑わしきは罰せず、被告人の利益に」が原則であり、日本と違って無罪判決が出た被告に対して検察は控訴できない。

「陪審員制度の仕組みの本質」とは何か?

この映画を初めて見た際に、筆者は「本当にこれでいいのか?」と一抹の不安を感じたことを記憶している。何が正義か、といった重大なことは素人の陪審員ではなく、できれば権威のある誰か「偉い人」に決めてもらう方がいいんじゃないだろうか?

しかるにアメリカの流儀で言えば、そんなことを認めたらエリートの暴走を止めることができなくなる。彼らはそういうことが嫌で、新大陸に渡ってきた人たちの子孫なのである。ゆえに有罪か無罪かは、普通の人々の感覚で決めなければならない。陪審員制度とは、「正義とは何か?」を自分たちに身近な感覚で決めるための仕組みなのである。

映画には個性豊かな12人が登場するが、11番の陪審員は移民の時計職人である。英語の訛りが強く、そのことを周りから冷やかされているが、陪審員を務めることに対して、ほかの誰よりも強い責任を感じている。その彼がこんなことを言う。
 
「われわれには責任がある。
これが実は民主主義の素晴らしいところだ。
郵便で通告を受けるとみんながここへ集まって、
まったく知らない人間の有罪、無罪を決める。
この評決で私たちには損も得もない。
この国が強い理由はここにある」

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