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「40年遺骨収集続ける男」から考える"弔いの意味" 『骨を掘る男』の奥間勝也監督にインタビュー

東洋経済オンライン / 2024年6月14日 12時40分

ただ、すでにテレビでもこうした話は紹介されており、具志堅さんが書いた本もある。すでに知られている話をなぞるよりも、いまの具志堅さんを撮りたいと思ったのでカットしました。

――プライベートな部分がない一方、まだ骨が埋もれている可能性が高い鉱山の土砂を、辺野古の新基地の埋め立てに使うのを見直してほしいと、具志堅さんが県庁前でハンガーストライキをする場面も追っています。その前の道路を右翼の街宣車が「コラあ、何やっとンじゃ!!」と怒号をあげて横切っていく。国のために亡くなった人たちの遺骨収集を率先して進めようとするのは「愛国」の1つでもあると思うのですが。あの場面は、非常に興味深いシーンでした。

あれは、たまたま撮れた映像ですね。具志堅さんの主張は、新基地に反対というよりも、遺骨が埋まっている土を埋め立てに使っていいんですか? というものです。道義的に歪められることが嫌な人なんですよね。

━━映画の後半では、監督である奥間さんの大叔母(祖母の妹)の葬儀の場面が出てきます。遺族が、火葬場で焼骨を、長い箸を使って骨壺に入れていく。具志堅さんの遺骨を探す手元のシーンとともに、「弔う」ことの意味を考えさせるもので、「死んだら終わり」という考えが、揺らぐような気持ちで見ていました。

僕も、どちらかというと死に対してドライな感覚でいたのだと思います。骨の哲学のようなことを、この映画でできるかもしれない。大風呂敷なんですけれども、そう考えていました。

今回参考にした映画が、パトリシオ・グスマン監督の『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』という作品です。光や水というモチーフを掘り下げることで、チリの独裁政権時代の民衆弾圧の記憶や、過去の植民地主義の問題をあぶりだしていくドキュメンタリー映画です。

僕は骨を見続けることで、沖縄の歴史と今をつなぐことができるのではないのか。そこが出発点でした。

――本作は国際共同制作で、フランスやドイツの制作チームからは、「なんで、骨なんだ?」と聞かれることが、多かったそうですね。

骨を箸で拾う儀式の意味を映画の中で言及してくれと、海外のチームからは要望がありました。迷いましたが、何をやっているのかを説明することよりも、〈死〉に際して、集まった人たちが時間を共有する。それを大事だと思っていることが観た人に伝わればいいと思いました。

そして、こうした時間をもつことができないのが「戦争の死」だと考えるようになったのです。

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