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精神科医が「自分が病みそうになった時」の対処法 発した言葉が意図せず患者を傷つけることも…

東洋経済オンライン / 2024年6月14日 18時0分

当然、私の診療の技術が未熟であることにも由来するのだが、おそらく、外科医が手術で病巣を切り取る以上に、精神科医がふるう言葉のメスがどう患者に作用するのかというのは予測不能な部分が大きいということも部分的には示唆していると思う。分からない。外科手術においても、意図してもうまくいかないこと、予想だにしない生体の反応というのはひょっとしてあるのかもしれないが、知らぬ間に大血管を切っていて、3年経ったあとに急に手術の合併症で亡くなったということは通常ない。

血管に触らないよう注意して結合組織を剥離するように、精神科の診療においても命に関わる血管を切ってしまわないよう慎重に言葉を使いながら診療を進めていくことは当たり前なのだが、それでも実は動脈を切っていて、大出血していた、ということが後になって分かるということがある。

何が傷つけて、何が傷つけないかは、もちろんまずもって傷つけないであろう言葉というのはあるのだが、それだけでは治療にならないこともあり、これを言ったらひょっとして出血するかもな、ということも言わないとならない場面はある。

いや、本当に言う必要があるのかどうかは慎重に吟味すべきだろう。言わないとならないと思い込んでいるときこそ、冷静に考えてみると、自分が言いたいだけということはしばしばあるものである。

いずれにせよ、ちょっと出血するかもしれないことを言うときは、患者さんの反応をみて、患者さんの出血量を判断している。つまり、切ってみてどうかをみているのだが、出血したからといって、そこでやめてしまうというものでもなく、出血した、ということを今度はヒントにして、次にどこを切るかを決めるようなところがある。

しかし大抵は反応がない

問題は、その反応が大きければ誰にでも分かるのだが、反応がすごく微細だったり、間接的だったりすることがほとんどで、場合によっては誰がみても分からないということすらありうる。なんというか、言わないのである。傷ついた、とか、支えになっている、とかその場ですぐ言う人もいるかもしれないが、大抵は言わない。切られた本人ですら、後から傷ついたことが分かったり、傷つけられたと思ったらやっぱり支えになっていたことが分かったり、その逆もある。

言われれば分かるが、言われないとフィードバックができないので、同じようなところに同じメスをふるってしまうことがありうる。肝心なのは、言われないが発せられる微細な出血のサインを感じ取ること、感じ取って次のメスをふるう方向を微調整すること、それでまた出血のサインを感じ取ること、この繰り返ししかない。

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