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震災パニックという「暴落相場」で得た5つの教訓 凄まじいまでの「投げ売り相場」でやるべきこと

東洋経済オンライン / 2024年6月19日 15時0分

東日本大震災の発生は、金曜日の「大引け」間際のことだった(写真:Caito/PIXTA)

古くはブラックマンデーに始まり、サブプライムショックに東日本大震災、記憶に新しいところでは2020年のコロナショックと、いわゆる「暴落相場」は突然やってきます。そんな「暴落市場」による損失を抑えるためには、どんな心がまえが必要なのでしょうか。毎月5万円の積み立て投資から15年で1億円を貯め、この春にはついに運用資産が7億円を突破したというwww9945氏が、東日本大震災の経験を振り返ります。

※本稿はwww9945氏の著書『年収300万円、掃除夫だった僕が7億円貯めた方法』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

金曜日の「大引け」間際を襲った東日本大震災

2011年3月11日の東日本大震災。起きたのは金曜日の相場がもうすぐ終わろうかという大引け間際だった。この日の日経平均株価は1万298円から1万254円とほぼ動いていない。

翌月曜日は寄り付きに大きく窓を開けて1万44円、終値は9620円。火曜日は9441円から8605円。一時は8227円をつけた。日経225先物は一時7800円台まで落ちている。

株式市場で見た震災パニックの特徴は震災後の月曜日、火曜日の2日間で1万円からザラ場8227円と20%近くも暴落した点だ。

金曜日はまだしも、せめて月曜日に逃げられなかったのか。なぜ火曜日にも多くの人が投げ売ったのか。多くの投資家同様、私も月曜日には逃げられなかった。

震災当日の11日、たまたま代休を取っており、自宅で株価を見ていた。

運命の14時46分18秒。積んであるペットボトルの入ったダンボールが落ちてきた。それが植木鉢に当たり一面が水浸しになる。

溜まっていたはずの風呂桶の水は半分以上が外へあふれていた。とてもチャートを見られる状況ではなく、倒れた植木鉢を起こし、本棚の倒壊を防いでいるうちに大引けになっていた。

翌12日、この日は土曜日だったので、市場はもちろん開いていない。携帯電話が鳴り、祖父が逝ったとの一報が入った。茨城県も震度6を記録したのだが、祖父の死因は地震とは関係のない老衰だった。数え年で100歳の大往生だ。実家のある茨城県・土浦を目指した。

目指したはいいものの、交通は寸断されていた。茨城県の最南端である取手までしか行けない。

取手から土浦まではまだ30キロ以上ある。仕方がないので、この日は引き返した。翌日も状況は似たようなものだった。

この日はルートを変え、つくば駅からバスを乗り継いで実家を目指したが、バスに乗ると国道は大渋滞だった。倒壊した家屋などを横目に、どうにかたどり着くことができた。14日の月曜日、火葬場には自分たち以外、誰もいなかった。

「ざっと1000万円以上」が吹き飛んだ

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