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氷河期で「バイト先の塾に就職した男」が見た地獄 ある団塊ジュニアがたどった苦節のキャリア人生

東洋経済オンライン / 2024年6月21日 12時0分

それが、正社員になると一変した。午前10~11時ごろに起床、昼過ぎに出勤した後、午後11時まで勤務。深夜に夕飯を取り、就寝するのは連日午前3~4時だった。生活リズムは完全に夜型となった。休みは月に5日あれば、よいほう。生徒であふれる夏期・冬期の講習時は、朝から夜まで1日12コマもの授業を任された。深夜の食事にストレスも加わり、あっという間に体重は5キロほど増え、身体が悲鳴を上げ始めていた。

「この仕事はやりがい搾取そのもので、この先もそのまま働き続けさせられる将来像しか浮かばなくなっていました。先輩たちは、ほぼ全員が20代で退職するということもあり、1、2年で離職する人も多数いました。私もちょうど1年間働き、3月末で辞めました」

第二新卒の就職が困難だった時代

新卒で入った会社を3年未満で辞めて、再就職を目指す人たちを指す言葉が、第二新卒だ。厚生労働省が毎年発表する「新規学卒就職の離職状況」によれば、2020年3月に卒業した新規学卒就職者のうち、3年以内に離職した大卒者は32.3%。1995年3月の大卒者で3割を超えて以来、リーマン・ショック直後に卒業した人たちが28.8%と落ち込んだのを除くと、軒並み3割を超えている。この数字に関しては、団塊ジュニア世代もZ世代も変わっていない。

他方、人材の流動化が進む今でこそ、第二新卒採用を導入する企業は目立つものの、吉岡さんが第二新卒の就職に臨んだ1998年は、状況が大きく異なっていた。新卒の就職ですら困難な時期であり、そんな状況下で、第二新卒に目を向ける企業は数が限られていた。

吉岡さんの友人・知人の中には、就職に失敗し、非正規の派遣社員にならざるを得なかった人も少なからずいた。吉岡さんは「当時は、第二新卒という概念が浸透していませんでした。たった1年間の塾講師経験では、採用担当者の目に留まりにくく、とても苦労しました」と厳しい就職戦線を振り返る。

27社を受け、何とか4社から内定を得たものの、採用が決まったのは11月のこと。3月末で塾を辞めてから、半年以上にわたった第二新卒としての就職活動は「社会から取り残されている不安に押しつぶされ、何度もくじけそうになりました」(吉岡さん)。

そんな状況を支えたのは、大卒2年目で挫折するわけにはいかないという覚悟と、「絶対に諦めない。最大の敵は自分」との強い意志だったという。

「自分が塾講師として、子どもたちに偉そうに『絶対に諦めるな。最大の敵は自分なんだぞ』などと情緒的に語ってきた以上、就職に失敗してやさぐれた姿を見せたくなかったんです。仮に、そんなふうになってしまった自分を見てしまったら、生徒はがっかりするだろうな、などと想像していました」

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