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氷河期で「バイト先の塾に就職した男」が見た地獄 ある団塊ジュニアがたどった苦節のキャリア人生

東洋経済オンライン / 2024年6月21日 12時0分

かろうじて滑り込んだのは、東証1部上場(当時)の化学メーカーで、配属されたのは経理部門。まったくの門外漢だったため、とにかく必死に食らいついた。簿記はもちろんのこと、エクセルすら使ったことがない「新人」が囲まれた職場環境は決して快適ではなかったが、雑用でも何でも積極的にこなすことで、次第に信頼が得られるようになった。

一方で、社会人歴は塾講師経験の1年にとどまる吉岡さんに対し、当時はまだ言葉として認識されていなかったパワハラ的な言動を繰り返した上司や先輩もいて、やるせない日々でもあった。

慣れない経理職に就いてから2年目のある日。「経理をやっていれば、どんな企業でも潰しがきくのではないか」。ふと、経理の仕事が持つ応用性や普遍性に気付く。以後、勤務後に専門学校に通い、27歳で日商簿記検定2級を取得。3年目になると、周囲から認められる存在になった。4年目には、自信と貫禄を持って働けるまでになった。

ところが経理のスペシャリストとして、一段と成長を図りたいと思っていた矢先、想定外の事態に陥る。会社の玉突き人事のあおりで、総務、人事、経営企画と、畑違いの部署への異動が続いた。

経理を続けたいとの意思は聞き入られることなく、“便利屋”として組織に組み込まれたことに納得いかなくなった吉岡さんは、2度目の転職を決意。旧知の知人からちょうど熱心に誘われたのに応じ、現在の老舗レジャー産業企業に経理職で採用された。30歳だった。

「ものすごく、タイミングがよかったんですよ。ちょうどその頃、上場企業は四半期決算(1年を4期に分け、3カ月に一度)の開示が求められるようになりました。1年中、どこの会社も決算をしなければいけないような状況になったときに、上場企業の経理経験者で、今後のキャリア設計も望める30歳。1974年に生まれて、ずっと苦労してきたのですが、初めて絶好のタイミングに巡り合えたと思えました。最終的には、現職を含め5社から内定を得ました」

その会社で20年間走り続け、吉岡さんは会社で社長に次ぐナンバー2のポジションにまで上り詰めた。

労働力の流動化が必要

吉岡さんの胸の内に去来するのは、人手不足が加速する今の時代に、労働力をさらに流動化させていく必要性だ。

生産年齢人口がどんどん減少し、第二新卒も珍しくはなくなったとはいえ、吉岡さんの目には、いまだに日本では新卒至上主義が顕著に映るという。

とは言え、新卒一括採用が長らく続いてきた日本でも、近年の人手不足などの影響で中途採用を強化する動きが、企業規模を問わず強まっている。時代の狭間に身を置く羽目になった吉岡さんは、結果的に3社目で自らのキャリアを着実に積み上げ、経営層にまで上り詰めた。今の会社で、65歳までは働き続けるつもりだ。

誰もが同じ会社で望むキャリアを構築できるわけではないし、そもそも置かれた場所で咲けるとも限らない。吉岡さんが指摘するように、年齢を問わずセカンドキャリア、サードキャリアを目指す人たちに対する理解、もっといえば社会的包摂が一段と求められるのではないだろうか。

本連載、『団塊ジュニアたちの「岐路」』では、自らの経験について、お話いただける「1971(昭和46)年~1974(昭和49)年に生まれた方」を募集しております。取材に伺い、詳しくお聞きします。こちらのフォームよりご記入ください。

小西 一禎:ジャーナリスト

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