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世界最高峰の心臓外科医が留学後に受けた「屈辱」 「白い巨塔」にはびこっていた"排除の力"とは

東洋経済オンライン / 2024年6月23日 19時0分

「天才なら努力をしなくてもできる」

そんなふうに思う方もいるかもしれませんが、私からすればそんな人はいません。もともとセンスも技術も持ち得ている人が、さらに努力を重ね、そのうえで「天才」と呼ばれる人物になりえるのです。努力とは、いわば「こなす量」です。

ドイツ時代の留学先、ハノーファー医科大学のあるハノーファーは、ベルリンから西に300キロに位置する街で、1960年代に創設された大学は郊外にありました。同大学の胸部心臓血管外科は年間の開心術(心臓にメスを入れる手術)約1500例、心臓移植約100例。ドイツにおける外科手術の中心を担っていました。

この外科の主任教授であったボルスト教授は、大動脈瘤を専門とし、ドイツにおける心臓外科の草分け的存在。当時60歳くらいで、とても厳しい方でした。

私はハノーファーで過ごした約2年半、病院内の宿舎から外に出ることはほとんどありませんでした。ヨーロッパ観光を楽しんだ記憶もありません。自分を律さないと成長を目指して闘えない状況だったからです。

ボルスト教授は何事にも厳しい方でしたから、一時も気を抜けません。ずっと気持ちを張り詰めていました。

日本にいたころは早起きが苦手でしたが、そんなことも言っていられません。毎日、朝7時から病院で行動せねばならなかったのです。

まず病棟回診、医師ミーティング、その後はボルスト教授のICU(集中治療室)回診に同行。そして8時15分からは手術が始まります。

手術がすべて終わるのが午後3時ごろ。それから昼食をとって病棟を回ったあとに5時からは移植患者の術後管理ミーティングなど……すべてが終わるのは夜の7時過ぎでした。それから宿舎に戻るのですが、そのあとに緊急手術が飛び込み、再び白衣を身にまとうことも多々ありました。

毎日2〜3件の手術に立ち会うことは、日本ではできない経験でした。3つの手術室で、それぞれ2〜3件の手術が毎日行われます。そして驚いたことに、日本では8時間かかっていた手術が2時間前後で終わるのです。

それだけではありません。患者さんの回復も早く、早期に退院していくのです。当時の日本との心臓外科手術のレベル差を痛感しました。

そんな体験ができたことは有意義だったのですが、ハノーファー医科大学留学直後の私のメンタルは相当やられていました。語学学校に通ったとはいえ、私のドイツ語は周囲とコミュニケーションをとるのに充分ではありませんでした。徐々に解消されていくのですが、最初の数カ月はそのことでかなりのストレスを抱えていました。

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