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なぜ大人は若者に「合わせる」ようになったのか 成熟という価値観を喪ったデオドラント化社会

東洋経済オンライン / 2024年6月26日 11時0分

私もびっくりしたのが、最近はLGBTQに関する社員研修がけっこう行われるそうで、大企業でも社員を啓蒙している。そのときに講師の人が何を言うのかというと、「LGBTQの人が職場にいると生産性が上がるんですよ」と言うらしいんです。

與那覇:すごいな。もはやまったく意味がわからない(笑)。

舟津:LGBTQの話題が社会で取り沙汰されるにつれ、「LGBTQの存在はこんなに企業パフォーマンスに効く」といった研究が出てきます。でもそれは「役立つから受け入れようね」っていう、すごく上から目線の需要。結局のところ、「デオドラント化された無害なマイノリティしか日の目を見ない」という状況になっています。

與那覇:ひと握りの成功した有名人を採り上げて、「発達障害はギフテッド(恵まれた才能)」と煽る演出と同じですよね。そのせいで逆に、炎上した著名人が「発達障害のせいだから、私は悪くない。むしろ才能であり個性」と言い出し、かえって障害への偏見を強めてしまったりもしています。

舟津:なるほど。それで言うと、若者は圧倒的に同質的なものしか信じたくない傾向があると思います。同質でありたいし、同質なものしか受け入れられない。異質なものは、とてもクサくて嫌なものに見えてしまうのだと。

たとえば、学年が違う人と交流する際に「1つ違うと話が合わないから無理です」と言い出すんですよ。「今後誰と生きていくつもりなんだよ」と思わずツッコミたくなる。本来は大人たちが「そんなの、無理にでも話していれば、そのうちどうでもよくなる」と言うべきところ、「配慮しましょう」とか「イヤな気持ちにならないようにしましょう」と言ってしまっていて、そうすると異質性の受容なんてできるわけがない。年齢1つ違いで無理なら、それこそ外国人とかLGBTQ、障害者の方のことなんて絶対に理解できないでしょう。

與那覇:舟津さんも別の記事で言及された、「マイクロアグレッション(=微小な加害)」なる概念の問題ですよね。不快感を抱かせた時点で即アウトと見なす規範が暴走すれば、「年が1つでも違う人と話す経験は不快だ」といったクレームにも応えないといけなくなる。つまり差別を防ぐどころか、かえって不寛容な偏見をはびこらせてしまいます。

段階的な相互理解という「成熟」の喪失

舟津:そうですね。逆に異質性がわからなくなるというか、誤解を解く機会を失っているとも言えます。たとえば、LGBTQの方と初めて接した人が、なにか違和感を抱いてしまって、それを契機にマイクロアグレッションが起きるかもしれません。でも、それはマイクロなんだから、少しずつ修正していくことができる。

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