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なぜ大人は若者に「合わせる」ようになったのか 成熟という価値観を喪ったデオドラント化社会

東洋経済オンライン / 2024年6月26日 11時0分

私の知人でゲイの研究者の方がいるんですが、その方が指導教員に「先生、昔はそういう議論をまったく理解していなかったですよねー」とさらっと言うんです。その先生も、「いやその通り。あなたのおかげで勉強できました」と応じていました。わかり合えないところから、互いに理解できていったわけです。こういう段階的な相互理解が重要で、それを最初から「わかっていないから不快だ、排除しよう」としたら、今のその二人の関係もない。

與那覇:社会のデオドラント化の最大の副作用は、「成熟」という価値観を失わせたことでしょう。どんな人にも自身の体験に基づく、なんらかの偏見や先入観がある。だから未知の人と接すると最初はトラブルになり、摩擦も生じるけど、その中で調整しあうことで「いまはお互い、いい関係だね」と思えるようになる。

そうしたプロセスが成熟と呼ばれてきたのに、今はあらかじめデオドラントを噴霧しまくれば「誰もが最初から完璧な対応を行い、一切摩擦が生じない環境」を作れるとする幻想が広がっていますよね。

舟津:「成熟という価値観の喪失」は大事なご指摘ですね。本の冒頭にも書いた話ですが、大学のアンケートで「この授業は知っていることばかりなので良かった」という感想が届くと聞いて、衝撃をうけました。逆に「知らないことばかりで嫌だった」もある。でも、それが今の社会の実情を表してもいて、知っていることだけ教えてもらえないとイヤ、という状況ができつつあるのだろうなと。

與那覇:メディア社会学の父とされるマクルーハンは、「メディアはメッセージである」という自身の学説をもじって、「メディアはマッサージでもある」とパロディにしたことがあります。メディアは「新しい知識を提供する場所」では実はなく、むしろ視聴者がすでに持っている価値観をなでなでして「気持ちよくさせる」機能を果たしていると。

月並みな感想を言うワイドショーのコメンテーターなどが、そうした「マッサージ役」として揶揄されがちでしたが、いまや大学も大差ない場所になりつつあるわけですね。

舟津:ただ、大学の授業にまでマッサージ機能を求めると、意外なものに出会うことの喜びも失われてしまいますね。未知の部分と既知の部分のバランスが重要であるはずが、既知への安心に傾きすぎている。

免疫が働かない、デオドラント化した社会

與那覇:最近深刻なのが「マッサージしてくれない」時点で、そうした表現は社会悪であり排除せよと唱える人の増加です。趣味が合わないものは見なければいいわけで、表現自体を規制することが正当化されるのは、違法行為や人権侵害をともなう場合に限られる。ところが今は「私が不快だから世の中から消せ」と、ナチュラルに言ってしまう例が目立ちますね。

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