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「現金で変わった」パプアニューギニアの食風景 「イモより米が食べたい」と人々が語る背景

東洋経済オンライン / 2024年6月30日 12時0分

どの家にも必ずあるイモの貯蔵小屋(カンディンガと呼ぶ)を見せてもらったら、「手前はうちで食べる用、あれは植え付けの時に振る舞う用、一番奥は結婚式や葬式があった時に持っていく用」とイモがきれいに仕分けて蓄えられていた。まるでイモがお金みたいだ。

だが、最近の世代は急速に米を好むようになっている。子どもだけでなく、50〜60代の人まで「イモは……」なんて言う。彼らが子どもの頃は、イモづくしだっただろうに。「ガーデンカイカイは基本だけど、連日だと飽き飽き。米やサゴヤシが食べたい」なんていう。しかし、サゴヤシは森で木を倒してでんぷん採集すれば食べられるからいいとして、米は買わないと手に入らない。しかも高い。どうするか。

「今年から真剣に稲作を始めたよ。だって子どもが食べたがるんだ。たらふく食べるには育てるしかない。親戚にも植えるように言ったよ」と言うのは、滞在家庭の父さん。彼は村のリーダーのような存在でもある。

実は20年ほど前に日本のJICAの技術協力により、陸稲を育てるプロジェクトがあった。その時は、一時は栽培が広がり一定の成果があったものの、イモやサゴヤシに比べて手間がかかることもあり、人々はイモ栽培に戻っていったという。20年経って再び稲作に本腰をいれるのは、米への欲求がそれだけ上がってきたということなのか。

米を食べる「もう1つの方法」

そして米を食べるもう1つの方法は、私たちのような現金を持つ人間に買わせること。「子どもたちが米を食べたがっている」とか言われて、平積みになっている1キロ袋を買おうとしたら「1キロじゃ足りないよ5キロ」なんて言われる。

米以外にも、滞在家庭の母さんに「夕飯にサバ缶とインスタント麺買いたいから15キナちょうだい」なんて言われることがある。この地では当たり前のやりとりなのだが、最後まで慣れなかった。

彼女は私たちを泊めてくれているし、世話してくれているし、彼女の持っているもので貢献してくれている。それに対する交換の対価として、現金を持っている人に現金の貢献を求めるのは当たり前と言えば当たり前。交換と貢献で成り立つ社会だから、「手伝って」の感覚で「お金ちょうだい」となるのは、頭ではわかる気がする。だけどわからない。

その日の夕飯は、サバ缶とインスタント麺を煮たのを、山盛りごはんにのせたものだった。やわやわになったインスタント麺にサバ缶の油感がからみつき、味付けはインスタント麺に付属の小袋で、そりゃうまいよねという味になる。

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