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「AIの存在におびえる人」は自分の価値を再考せよ 「人に必要とされないと嫌」思考がもたらす問題

東洋経済オンライン / 2024年7月5日 20時0分

落合:仕事がなくなっても、少なくとも日本では生きていけるはずなんですけどね。耕作放棄地や空き家はいっぱいありますし、作物被害が多いから狩るべき野生のタンパク質もそのへんにいっぱい歩いているのが、日本の主な現状なんですよ。

つまり、社会との関わりがない場所ならば、リソースは無限にある。さらに農業を始めれば補助金なんかも入ってくるから、生きていけるかもしれない。

しかも、それはけっこう楽しい。シカやイノシシを猟で撃ったり好きな野菜や穀物を育てたりしつつ、毎日プログラミングしながら研究していていいですよといわれたら、楽しいじゃないですか。にもかかわらず「人に必要とされないと嫌だ」というのは、僕にはよくわからない。

人はなぜ自分が「必要」とされたいのか

暦本:いまの生活が単なる思い込みにすぎないのかもしれないよね。その思い込みがバーンと外れると、みんなそっちに行ける可能性がある。古民家ユーチューバーって知っています? 古民家を50万円ぐらいで買い取って、延々と自分で直していくんですよ。

みんながうまくいっているわけでもないけど、すごく楽しそうな人もいる。あれ、生活コストがほとんどゼロなんですよね。近所の人が余った野菜なんかをくれるので。

落合:だから、ほかの国では飢えるかもしれないけど、たぶん日本で飢えることは少ないですよね。「生活保護が受けられるから」という話ではなくて、飢えないだけの環境がある。そういう世界において「必要とされる人間」とはいったい何なのかは、一度考えてみたほうがいいでしょうね。

暦本:そもそも「必要」という概念はいつ生まれたんだろう。封建社会では有無をいわさず「おまえは米をつくれ」などと、やるべきことが自動的に決まっていたわけだし。

落合:他人に必要とされるから米をつくっていたわけじゃないですもんね。

必要とされなければ価値がない?

暦本:そう。必要もヘチマもなく、「これがおまえの仕事だ」って生まれたときから決まっていた。

落合:自由経済が入ってきた江戸末期から明治頃から「必要」といい出したんじゃないですか。

暦本:そうか、近代資本主義社会の概念なのかもしれないね。

封建社会ではすべてが生まれたときからフィックスされているので「必要」という概念はなかったけど、近代的な市民社会になったときに初めて、「自分はAもできるしBもできるけど、どうすべきか」「Bをするためには何が必要なのか」などと考えるようになった。

落合:西洋哲学が本格的に入ってきたのもその頃ですからね。それによって人間中心主義になれば、「必要とされる人間」でなければ価値がないと考えるようになるかもしれない。

だから人間から「必要性」を奪うAIの存在に不安を感じるんでしょう。

暦本 純一:東京大学大学院情報学環教授、ソニーコンピュータサイエンス研究所フェロー・チーフサイエンスオフィサー、ソニーCSL 京都リサーチディレクター、博士(理学)

落合 陽一:メディアアーティスト

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