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周りから「魅力的」と思われる人が日々している事 好かれたいと思うほど嫌われてしまう禅的理由

東洋経済オンライン / 2024年7月5日 18時30分

人づきあいで自分を“盛る”のは、かえって自分を苦しめることになります。「ありのままの自分」でいることで、自身の未熟さを自覚し、成長できるのです(写真:zon/PIXTA)

「早く、早く」「負けるな、負けるな」──。

時間に追われ、人に急かされて、いつも頑張ってしまっている自分。しんどいのに、人を蹴落としてでも「私が、私が」と前に出ていかなければ、まわりから取り残されそうでこわい。ぎすぎすした世の中に、生きづらさを感じている人が増えています。

「思い切って、ゆずってみるとうまくいきますよ」と言うのは、禅僧の枡野俊明氏です。人を蹴落とすのではなく、人にゆずることで人生は好転する──。いったいどういうことか、氏の新刊『迷ったら、ゆずってみるとうまくいく』をもとに3回にわたり解説します。

「よく思われたい」と思わない

人からよく見られたい、いい人だと思われたい、という気持ちは誰にでもあります。そして、好意を寄せている人から好かれたいという、プライベートな感情もあると思います。

禅の教えには、このようにしたら人から好かれるという、具体的な“モテる秘訣”はありません。しかし私は、禅が教えてくれる生活習慣や所作を身につければ、必然的に人から愛されるようになると思っています。

禅は、ただひたすら無心に取り組む姿ほど美しいものはない、と教えています。たとえば、春の到来を告げるウグイスの「ホーホケキョ」のさえずりを聴けば、私たちは「あぁ、ウグイスの声はなんて美しいのだろう」と感じます。

しかし、ウグイスはただただ無心にさえずっているだけで、私たちを楽しませようと思っているわけではありません。私たち人間が勝手に、無心にさえずるウグイスの声が清らかで美しいと感じるのです。

無心に取り組む姿勢は魅力的

あるいは高校球児を見て、彼らを清々しく感じるのも、彼らが損得勘定ではなく、ひたむきにプレーしているからこそ、私たちは心を惹きつけられるのです。

つまり、人からよく見られたい、好かれたいなどというはからいの心を一切もたずに、無心に何かにとり組む姿は魅力的であり、人を惹きつけるのです。

「歩歩是道場」(ほほこれどうじょう)という禅語があります。いつでもどこにいても、そこが道場であり、何をしていても修行なのです。その心がまえで、一瞬一瞬を一所懸命に努めなさい、という意味です。

一途に一所懸命取り組んでいる人の姿に、好感を持たない人はいませんね。

ありのままの自分で接する

人からよく見られたいという思いが強くなり、ちょっと欲張って自分を“盛る”ことは、「自我」のあらわれです。自分自身の存在や考え方に執着する心を「自我」といいます。

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