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「桜蔭から2浪東大」彼女が"多浪"を決意した理由 桜蔭での生活、浪人時代に出会った運命の授業

東洋経済オンライン / 2024年7月7日 8時30分

桜蔭学園(写真:MARODG / PIXTA)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は、桜蔭中学校・高等学校から2浪して東京大学文科三類に進学。現在は同大の博士課程に進み、総合文化研究科言語情報科学専攻3年生として大学に通う傍ら、「学習塾ネイビー」の講師をしている桑原咲弥さんにお話を伺いました。

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多くの東大合格者を輩出する「桜蔭」

毎年多くの東大合格者を輩出する、雙葉、女子学院、桜蔭の3つの女子校。世間では「女子御三家」と呼ばれており、中学受験に挑む多くの親や子どもが憧れる学校です。

【写真】東大卒業時の桑原さん。現在は塾講師をしながら研究に励んでいる。

その中でも桜蔭は2024年に63人の東大合格者を輩出(※浪人生含む)し、全国の東大合格者数ランキングで7位となりました(インターエデュ調べ)。女子高だけで見ると、東大合格者数で首位を誇り、まさに日本一賢い女子校といっても過言ではないでしょう。

そのような環境で2浪し、東京大学に合格したのが今回お話をお聞きした桑原咲弥さんです。

彼女は言います。「浪人で私の人生が始まった」と。

彼女が語る「生まれる前」であった桜蔭での女子校生活は、彼女の人生にどのような影響をもたらしたのでしょうか。そして、なぜ2浪して東大を目指そうと思ったのでしょうか。

彼女の新しい人生が始まった浪人生活に迫っていきます。

首都圏に生まれた桑原さんは、会社員の父親と、専業主婦をしていた母親に愛情深く育ててもらい、両親の「自慢の娘」だったそうです。

「アンパンマンのおもちゃで遊んでいた、おとなしい消極的な子どもでした。勉強面に関しては、文字を読むのが得意で、幼稚園に入る前にはひらがなとカタカナを自分で勉強して覚えていたそうです。幼稚園のころからKUMON、小4から早稲田アカデミーに通わせてもらっていました」

通っていた公立小学校では、塾の勉強に熱心だったことと、自分の意見を言わない子どもだったことから、先生にはあまり気に入られてはいないと感じていた桑原さん。そのため通信簿ではいい成績をつけてもらえるタイプではなかったと語ります。それでも、塾での成績はよかったようで、中学受験直前のころには、通っていた校舎で上位2番の成績になりました。

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