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「桜蔭から2浪東大」彼女が"多浪"を決意した理由 桜蔭での生活、浪人時代に出会った運命の授業

東洋経済オンライン / 2024年7月7日 8時30分

「最初は雙葉を目指していました。でも、だんだん成績が上がっていったので、もうちょっと(上に)行けるかも……と思って女子学院に目標を上げて、その過程でさらに上を目指せそうだと思い、桜蔭を第1志望にしました」

「女子御三家」の中でも高みを目指して目標を引き上げていった桑原さん。中学受験では無事に第1志望だった桜蔭に合格します。

ゲームにハマってしまった桜蔭での生活

日本最難関の女子校に合格した桑原さんは「周囲のレベルが高くて驚いた」と当時の日々を振り返ります。

しかし、彼女自身は学校に入ってから堕落の一途を辿ってしまいました。

「英語でつまずいてしまいました。『SVO』など日本語と仕組みが異なることに戸惑ってしまったのです。もともと勉強よりもゲームが好きだったので、『テイルズ オブ』シリーズや『どうぶつの森』、『牧場物語』などをよくやっていました。当時はあまり勉強する気になれず、友達とゲームの話をすることのほうが楽しかった記憶があります」

この当時「桜蔭は成績が開示されない」こともあって、高校3年生まで進路についてあまり考えたことはなかったそうです。

「将来の夢はなくて、大学受験も高校3年生になってようやく意識するようになりましたね。高2で文系を選択して、高3の夏に文学部に行こうと思って東大の文三を志望しました。この当時は本を読むのが好きなわけではなかったのですが、周囲に東大志望が多いから、という理由だけで志望校を設定してしまいました」

高2の夏から学校の後に駿台予備学校に通って勉強は続けていたものの、土日は3時間の勉強しかできていなかったと語る桑原さん。模試の東大の判定はずっとEで、3年生の最後のほうになってからようやくD判定が出るようになりました。

「センター試験は足切りを突破できそうな760/900点くらいだったので、予定通り東大文三に出したのですが、合格最低点より20~30点足りず不合格でした。当時の自分は、成績が伸びなくても、そのうちどうにかなると楽観的に考えていたのです」

現役で落ちてしまい、浪人しようと思った理由を聞いたところ「予備校でいい授業に出会ったから」という答えが返ってきました。

センター試験直後の授業で浪人を決意

「センター試験が終わった後くらいに、駿台で直前講座があったんです。そこで受けた英語の大島保彦先生の授業がとてもよくて、浪人してもいいかなと思えました」

授業の中でギリシャ哲学の話を盛り込むなど、“教養”としての英語を教えてくれる大島先生の授業は、夢も目標もなく生きてきた18歳の桑原さんの世界を明るくしたそうです。

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