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紫式部にベタ惚れ「藤原宣孝」結婚して冷めた情熱 夫はモテモテ、紫式部は苦悩を抱くように…

東洋経済オンライン / 2024年7月7日 12時0分

紫式部が執筆した『源氏物語』ともゆかりがある、比叡山延暦寺(写真: ふくいのりすけ / PIXTA)

NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第26回は結婚した紫式部と藤原宣孝の夫婦関係が垣間見えるエピソードを紹介します。

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モテモテだった藤原宣孝

何事も器用にこなして、気がつけば、ちゃっかりとよい思いをしている――。

【写真】石山寺にある紫式部の像

そういうタイプの人が、あなたの周りにもいることだろう。つい、うらやましくなってしまうが、紫式部の夫、藤原宣孝はそんな人物だったようだ。

とにかく女性にはモテたらしい。藤原顕猷(あきみち)の娘、讃岐守平季明の娘、中納言藤原朝成の娘など多くの妻を持った。子宝にもめぐまれて、顕猷(あきみち)の娘との間に、隆光が生まれたほか、季明の娘との間には頼宣、朝成の娘との間には隆佐、明懐、儀明と、多くの子を残している。

そのうえ、さらに紫式部まで口説き落としてしまうのだから、随分とやり手なプレイボーイだ。コミュニケーション力の高さは、仕事面でも発揮されたのだろう。

順調に出世を果たして、備後守、周防守、山城守、越前守などの国司に就いている。そんな世渡り上手なところもまた、多くの女性を惹きつけたのかもしれない。

「限りある人生で自分は何を重視して、何に時間を費やすのか」は人それぞれである。宣孝の場合は、女性のために時間を費やし、相手の心をつかむべく努力していた。式部に対しても盛んに和歌を贈って、なんとか20歳年下の女性に近づこうとしている。

宣孝は式部に対して、春の雪解けをみては「君の心も私に打ち解けるべきだよ」とメッセージを送り、しまいには、手紙の上に、わざわざ朱を振りかけて「涙の色を見てください」とまで書いている。その情熱には、恐れ入るばかりである。

紫式部とは正反対のムードメーカーだった

口説かれた側の式部はどう思ったのか。

「くれなゐの 涙ぞいとど うとまるる」(紅の涙などというと、ますます疎ましく思う)と、必死な中年男に当初はドン引き。「うつる心の 色に見ゆれば」(変わりやすい心が、この色ではっきりと見えているので)と拒絶している。

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