1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「この金で逃げてくれ!」唐十郎が頼んだ韓国詩人 アングラ演劇の旗手と韓国の大詩人との邂逅

東洋経済オンライン / 2024年7月7日 9時0分

ビザが切れそうになった3月23日夜、ソウル市内の西江大学で公演が実現した。金芝河の努力でソウルの青年劇団「常設舞台」と「状況劇場」の共同公演が実現した。「日韓反骨親善大会」と名付けた。韓国側の「常設舞台」は金芝河の「金冠のイエス」を、「状況劇場」は「二都物語」を上演した。

観客は約400人で、唐によるとその半分近くは修道女たちだった。彼女たちの目的は金芝河の「金冠のイエス」を見ることだった。唐たちはにわか仕込みの韓国語で上演をし、金芝河と唐十郎という日韓の異端の演劇人の作品が同時に公演された。この出会いはお互いに影響を与えた。

唐十郎はアングラ演劇の旗手として多くの作品を発表したが、「二都物語」を除けば、朝鮮半島を素材にした作品が多いわけではない。やはり、妻であり演劇活動のパートナーであった女優、李礼仙の存在が大きかったと思われる。金芝河は当時、李礼仙に「韓国人ならもっと韓国語を勉強しろ」と言ったという。

唐十郎氏がソウルで「二都物語」を公演した1972年3月の翌4月に、金芝河は長編風刺詩「蜚語」を発表したが、4月12日に検挙され、反共法違反で立件された。金芝河氏は結核療養を名目に韓国西南部・木浦の国立結核療養院へ強制軟禁された。

結核療養所での面会

日時は不明だが、唐十郎は当時、韓国東南部・馬山の療養院にいる金芝河に面会するために同年6月、再び訪韓した。先述の菱木一美の案内で、金芝河と再会を果たした。療養院の外へ連れ出すことにも成功し、馬山の海岸で面会を続けた。

唐十郎はここで腹巻の中に隠していたドルの札束を出し「金芝河さん、これで逃げてくれ」と訴えた。しかし、金芝河氏は「今はその時期ではない」とこれを断った。金芝河は赤いYシャツを着ていた。菱木が2人の「密会」を写真に取り、のちにNHKで放映された「アナザーストーリーズ 越境する紅テント」(2024年5月27日放映)で紹介された。

金芝河氏にとって1972年6月には、もう1つ大きな意味のある日本人との出会いがあった。日本の哲学者・評論家であった鶴見俊輔(1922~2015年)との出会いだ。

金芝河の作品を日本で出版した中央公論社(当時)の宮田毬栄(1936年~)は、作家の小田実(1932~2007年)とともに救援運動を立ち上げ、訪韓を計画するが、韓国政府からビザの発給を拒否された。

宮田毬栄は小田と対応を相談したが、小田はその場で鶴見俊輔に電話し「自分たちが行けないので、代わりに行ってほしい」と依頼、鶴見はこれを快諾した。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください