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真面目な人ほど「就活」で損する演技社会の「茶番」 会社が求める演技をできる人が評価される現実

東洋経済オンライン / 2024年7月17日 9時0分

鳥羽:そういうお膳立ては、かえって偶然的な出会いの可能性を奪っている感じがします。

うちの教室では、高校生の哲学対話授業がありますが、最初は自己紹介らしきものはあまりしない、名前だけを言うという方針にしています。高校とか部活動などの所属なんかを言うと、それだけで色付けされちゃうから、あえて名前だけにして、1年かけて会話の中で相手のことを知っていくんです。最初に色付けしないほうが面白い。

でも今は、例えば小学生たちも発達障害という言葉を知っていますから、クラスに発達障害の子がいるとわかると、「いい子」ほどその子に配慮しなきゃと思うようになります。何かいたずらをしたりふざけたりしても、「あの子は発達障害だからしょうがないんだ」と理解を示すわけですが、それってほんとうに理解と言えるのか。むしろ最初からその子を理解しなくていいっていう共通了解をつくっただけなんであって、欲しかったのは理解したっぽい雰囲気にすぎないわけで、そうすると発達障害と名指された子どもたちはますます孤立して寂しくなっていくんです。

舟津:そうですね。それを「配慮」と呼んで、「私たちはちゃんとわかっている、この人のためにやっていますよ」と言う。「ADHDだと社会生活が困難だから配慮しよう」みたいな傾向すら生まれていますけど、特別な配慮がなくとも暮らせる人もたくさんいます。それこそグラデーションで、投薬や治療が必要な人もいる一方で、軽度だったら、分け隔てなくても馴染めるはず。それを、健常とADHDとではっきり分断させてしまう。

結局、「演技」できずに本音が出てしまう

鳥羽:怖いのは、配慮してるつもりでも、ふと本音が出るときがあることです。例えば、車椅子の方が乗車の際に駅員の方に手伝ってもらったときに、SNSで「こういうのが足りなかった」と言っただけで、炎上して抹殺されるぐらい叩かれるようなことが起こる。このときに健常者の醜悪な本音が出る。つまりそれは「こっちは配慮してやっているのに」という上から目線の言い分です。そんな本音を隠した人たちがニコニコしながら「配慮」してると思うと、とても気持ち悪いわけです。

舟津:演技の要求が強すぎる社会の怖さは、結局みんな演技しきれなくなることです。我慢できなくなって、本音をもろに出しちゃう。私はそこにすごく違和感があります。最後は本音を出すくせに、演技して、演技させる。あんなに演技に必死だったのに、そこはモロに出すんだっていう。若者もきっと、そのギャップの怖さは感じていると思います。

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