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死期を悟った50代女性が日記を他者に託した意味 末期がんを家族に告げずに逝く覚悟を決めた

東洋経済オンライン / 2024年7月17日 11時0分

ある女性の日記帳に綴られた、ある日の日記(筆者撮影)

名もなき人も、懸命に生きている。そんな個人の人生の終わりに触れることができるオープンソースにアクセスすることで得られるものがある。今回は、かつての恋人を思い、病気によってキャリアの夢が断たれた、ある一人の女性の物語を拾い上げていく。

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命が尽きる前に、と託された日記帳

志良堂正史(しらどう・まさふみ)さんは、2014年から他人の日記帳や手帳を収集するプロジェクトを続けており、そのコレクションは約1700冊、書き手の人数にして約200人に及ぶ。

収蔵物の一部は、東京にあるアートギャラリー「Picaresque」の一角に常設された有料の私設図書館「手帳類図書室」に置かれており、予約に空きがあれば誰でも閲覧可能だ。また、別に企画したワークショップや展示会などで公開することもある。詳細はかつて筆者が志良堂さんにインタビューした記事(「他人の人生を覗く」に魅せられた男の仕事観)を参考にしてほしい。

そうした活動を10年続けている志良堂さんをして、他に類を見ないと言わしめる出来事がある。2018年の初夏。余命幾ばくもないという女性から、四半世紀に及ぶ日記帳を引き取ってほしいと依頼されたエピソードだ。

その女性(Mさん)は、海外で活躍していた30代の終わりに乳がんを患い帰国。寛解したあとは地元で生計を立てて平穏に暮らしていたが、10年以上経って再発し、以降は闘病生活を続けているという。しかし、その生活も間もなく終わりを迎える段階にきていると自覚している。

Mさんが志良堂さんに託したのは、20代の頃から長年愛用していた花柄の日記帳と、帰国後に使うようになった2冊の「5年卓上日記」だった。個人情報を伏せる条件で、メディア掲載を含めた公開を認める契約を交わした。

何度も捨てようと思ったが、捨てられなかったそうだ。自分の死後にどうすればいいのかと悩んでいるときに手帳類プロジェクトのことを知り、託すことを決めたとのこと。秘中の秘、プライバシー中のプライバシーに関わる情報を、自らと切り離すことでオープンソースとしてこの世に残すという決断だ。

Mさんがそこまでした背景には何があるのか。それを探る糸口は3冊の日記帳のなかにあるはずだ。志良堂さんから記事化の許しを得て、特別に貸し出してもらった。Mさんの生涯とその内面を追ってみたい。

バブル時代のトレンディーな空気

Mさんが生まれたのは日本が高度経済成長を続けていた1965年。地元に近い地方都市の短期大学を卒業すると、二十歳から社会人として世間の波にもまれた。世はバブル経済のまっただ中で、街を歩けば華やかな衣服がどんどん目に飛び込んでくる。やがてアパレルの世界に強く惹かれるようになり、会社勤めしながら洋裁の専門学校に通うようになった。

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