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死期を悟った50代女性が日記を他者に託した意味 末期がんを家族に告げずに逝く覚悟を決めた

東洋経済オンライン / 2024年7月17日 11時0分

洋裁の仕事に関しては、花柄の手帳の頃から一貫して前向きだ。新たな技法を勉強したり、扱ったことのない生地を見つけて興味深くしたりしている。一言二言の日記でも、数千日分を通読すると、誇りを持って仕事を続けるプロの姿がくっきりと浮かび上がってくる。

暗雲は2016年の夏頃から漂い始める。

日記の終わり

<11時から××で脳のMR
 (略)
 MRの所見、何ともないらしい
 肩こりからくる頭痛か?>

(2015年6月)

<あばらが痛い為
 ××整形へ 折れていた
 痛いはずだ>

(2015年9月)

不調を告げる短い日記が続く。その色は年が明けると深刻さを増した。少ない文字数で、仕事と交友、身体の不調といった事実のみを淡々と綴るパターンが続く。

<Eと約束していたが
 昨晩腰を痛めた為、
 キャンセル>

(2016年1月)

<新しい仕立てのお客さん.
 今日も腰が痛い>

(2016年1月)

昨年のあばらの骨折もあり、行きつけの整形外科を訪ねると、骨シンチグラフィという検査を勧められる。がんの骨転移が疑われるときに行われる検査だ。紹介されたがんセンターでも転移の疑いがあると告げられた。その数日後には、呼吸困難によって救急車に運ばれた。肺に水が溜まっていると言われた。

そして、2016年2月某日に「PET検査」とだけ書いたきり、日記の更新は途絶えている。

日記に添えられた「履歴書」

PET検査は、がんの有無や転移の具合を調べる全身対応の精密検査を指す。その結果、乳がんの転移が骨と肺などに見つかり、「余命半年くらい」と告げられたという。

その後、治療が奏功して命の危機を脱したものの、複数の場所に転移したがんは取り除けず、闘病しながらできるかぎり生活を維持する生活となる。しかし、次第に抗がん剤の効果が現れなくなり、すべての治療を停止して緩和ケアに移行することを決めた。

Mさんが偶然つけていたラジオで、ゲスト出演していた志良堂さんの声を聞いたのは、まさにその頃だった。手帳類プロジェクトというものがあって、他人の日記を収集しているらしい。体調が落ち着いたときに連絡先を調べてメールを送った。そのメールには自身の現状や動機について事細かに綴っていたそうだ。

そして2018年5月、志良堂さんの元に届けられたMさんの日記帳には、鉛筆で書かれた「生涯の履歴書」が添えられていた。それも含めて、全公開で託すことが認められている。この履歴書のおかげで、日記後のMさんの足跡を辿ることができた。後半の一部を抜粋する。

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