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町中華の「チャーラー」に人はなぜ魅せられるのか チャーハン、ラーメン、交互に食べて得られる幸せ

東洋経済オンライン / 2024年7月18日 11時30分

なかなかチャーハンやラーメンの話にならないが、もう少し付き合ってほしい。私が初めて一人で外食したのは小学校5年生くらいのとき。当時、両親は共働きで学校が午前中に終わる土曜日に帰宅すると、テーブルの上に500円札が置いてあった。「昼食はこれで何か食べなさい」ということだ。

今のようにコンビニやファストフード店があるわけではなく、私は近所のスーパーの敷地内にある中華料理店でよく食べていた。注文していたのは、鶏ガラスープの、いかにも町中華のラーメンや、チャーシューではなく、ふちの赤いハムが入ったチャーハン。どれもおいしかった。この経験がフードライターである筆者の原点かもしれない。

思い出の味を求めて、時間を見つけては地元の町中華に足を運んでチャーハンとラーメンのセットを食べるようになった。食材や調味料にこだわり抜いた今どきのラーメンにはない素朴な味わいに新鮮な感動を覚えたのと同時に、喫茶店で感じた地元の人々の生活感もそこにはあった。

以来、出張先でも町中華や老舗のラーメン店を訪ねてチャーハンとラーメンのセットを注文するようになった。その記録を「チャーラーの旅。」と題して、筆者の個人ブログ「永谷正樹、という仕事。」で2019年2月から発信している。

チャーラーは等身大の幸せ

チャーラーとは、読んで字のごとくチャーハンとラーメンのセットの略称である。地方によっては半チャンセットや半チャンラーメン、ラーチャンと呼ばれることもある。調べてみると、チャーラーは愛知県と岐阜県南部、三重県東部の東海エリア限定の呼称のようだ。東海エリア以外で暮らしている人は違和感を覚えるだろうが、どの呼称よりもわかりやすいと思っている。

SNSにおいても、インスタやFacebookに流れてくる高級寿司店や高級フレンチが「背伸びした幸せ」だとしたら、チャーラーは「等身大の幸せ」だと思う。ゆえにSNSでは、匿名ゆえに本音をさらけ出している人が多いX(旧Twitter)との親和性が高い。

正直、背伸びをして承認欲求を満たすのは疲れるし、それを見せられる側もシンドイ。それよりも今、目の前にある幸せを見つけることのほうがすばらしいと思うのだ。チャーラーはその象徴なのである。

奥が深いチャーラーの世界

チャーラーの醍醐味は、チャーハンとラーメンを交互に食べたときに口の中いっぱいに広がる味の余韻。2つの料理ゆえに単純に考えれば味の足し算になるのだが、それぞれの持ち味がケンカすることなく引き立て合い、1つの完成された味へと昇華させる。それは単なる足し算ではなく、味の掛け算なのである。

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