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道長は傍若無人?紫式部に見せた意外すぎる素顔 宮仕えを始めた式部、宮中での心に残る逸話

東洋経済オンライン / 2024年7月20日 9時30分

「白露は分きても置かじ女郎花 心からにや色の染むらむ」。これが、道長の紫式部への返歌です。

「白露はどこにでも降りる。その恵みに分け隔てなどはない。女郎花は、自分の美しくあろうとする心により染まっているのだ」との意味です。

心がけ次第では、紫式部もなかなかの美しさである、ということを道長は言いたかったのでしょうか。女郎花を几帳の上から差し出した道長の姿を紫式部は「とても立派だ」と称賛しています。

権力者のイメージとは異なる道長の姿

紫式部は宮仕えする前から、多くの歌を詠んできたため、その経験が今回役に立ったのだと言えましょう。紫式部の歌に素早く返歌する道長も、なかなかのものです。

道長といえば「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」(この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるものがないように、すべてが満足にそろっている)の歌が歴史の教科書にも載り、傍若無人な権力者のイメージを持つ人もいるかもしれません。

しかし紫式部の日記に記された道長の姿からは、彼の遊び心と機知が見て取れます。

さて、道長との逸話の次には、道長の嫡男・藤原頼通が登場します。静かな夕暮れ時。紫式部は、宰相の君と2人で話していました。そこに、殿(道長)の三位の君(頼通)が、簾を上げて、入ってくるのです。

頼通の母は、中宮・彰子と同じ源倫子。頼通はこの時、17歳でした。簾を上げて入ってきた頼通は、局の上り口に腰をかけます。

紫式部によると、頼通は「年の割にとても大人びて、深みのある様子」で「女性は、やはり気立てがいちばん。しかし、性格がいいということは滅多にない」などと、恋の話をしっとりと語っていたようです。

子どもっぽいとバカにされた頼通だったが…

頼通のことを、人々は「子どもっぽい」と陰でバカにすることもあったようですが、紫式部は頼通の言動を見て「そのような考えこそ誤りだ」と感じていたようです。

もう少し話したら打ち解けそうな頃合いで、頼通は「多かる野辺に」(美女が大勢のところに長居したら、好色だと噂されてしまいましょう)と口ずさむと、さっと席を立ちました。紫式部はその姿を見て「物語で褒めそやされている男君のようだ」と頼通への好感を抱きました。

若き頼通の雅さが際立つ逸話です。紫式部は当初(宮仕えは気が進まぬ……)と思っていたことがありましたが、道長や頼通との交流を通して(ちょっといいかもしれない)と感じ始めていたかもしれません。

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