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イタリア人が営む「老舗ラーメン店」の人生ドラマ 西武柳沢「一八亭」ジャンニさんと愛妻のこれまで

東洋経済オンライン / 2024年7月22日 11時30分

しかし、年末年始にはお店が猫の手も借りたいほど忙しく、ジャンニさんはついにお店を手伝うことに。はじめは皿洗いからスタートしたが、そのうち休みの日に仕込みの手伝いをすることになる。ジャンニさんはイタリアンの仕事から帰ってはカウンターで「一八亭」のラーメンを食べ、その作り方を目で見て覚えていた。

ふたりは2005年8月に結婚。11月には、出会った地であるタイの教会で結婚式を挙げた。

そして時は2007年1月、働いていた中国人のスタッフが故郷に帰ることになり、人がいなくなってしまった。

そこで、ジャンニさんはそのスタッフに付きっきりで1カ月かけて必死でラーメン作りを覚えた。そして、その後、4月からはジャンニさんがお店を切り盛りすることになった。

ところが、そこからは苦労の連続だった。

「お客さんたちは急にヨーロッパ人がお店に立ち出したのでビックリしたようです。お店に入って私の顔を見て出ていく人が毎日3~4人はいました。ショックとストレスで何度も辞めたいと思いました」(ジャンニさん)

ジャンニさんは語学学校に通うこともなかったので、日本語のコミュニケーションも厳しく、ラーメン作りよりも接客に非常に苦労した。店に立ち出してから3~4年は大変な時期が続いた。

「『外国人がラーメンなんか作れるわけがない』と思われていたんだと思います。そもそも外国人が好きではない人も多かったと思いますし、味がわかっていないと判断されていたんだと思います。都心にはまだ外国人のラーメン店はあったかもしれませんが、ここは田舎なのでなおさらだったんです」(ジャンニさん)

その後、リーマンショックや東日本大震災などの影響で売り上げが落ち込んでいった。知枝さんからは、

「無理しなくていいよ。お店をやめよう」

と声をかけられた。店の2階に転がり込んだ時に、知枝さんから「ラーメン屋を手伝うのは無理よ」と言われた、その真意に気付いた。

新メニューが起死回生の一手に

だが、ジャンニさんが諦めることはなかった。

「ここで諦めてはダメだ。まだまだ頑張ろう」

そう自分に声をかけながら、2010年ごろからは新しいメニューにチャレンジしようと、イタリア風の油そばをラインナップした。もともと営業が終わった後にジャンニさんがまかないとして作っていたメニューだったが、

「これ美味しいからメニューにしてみよう。ダメだったらやめればいいから」

という知枝さんの意見からメニュー化された。結果、知枝さんの予想は見事に的中し、油そばは若いお客さんには一番人気になった。

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