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「三権分立はフィクション」と泉房穂が断じる根拠 そもそも議会は「富裕層」のためのものだった

東洋経済オンライン / 2024年7月24日 16時0分

私の敬愛する政治哲学者ルソーは、はるか昔から議会の欺瞞性を鋭く見抜いていました。議会の議員たちは、「社会一般の普遍的正しさ」つまり「一般意志」の代弁者ではない、というのがルソーの考えです。彼らは、自分を選挙で選んでくれた業界や地域を代表しているに過ぎない、と。

つまり、国民全体の代表者ではなくて、個別利益の集合体、個別の欲望である「特殊意志」の集合体としての「全体意志」が議会であって、これは社会全体の人々の「一般意志」とはまったく別のものであるとルソーは看破していました。

実際、労働組合、宗教団体、地域、企業の集合体など、それぞれのノイジーマイノリティから送り込まれた議員たちで構成された議会において、多数決によって物事を決めようとしたところで、自分を支持してくれた集団の利益を守る方向に進んでいくに決まっています。

そんな「特殊意志」の集合体に過ぎない「全体意志」に、社会全体のための合理的な判断など期待できるはずもないのです。

議会制民主主義、つまり間接民主主義を提唱したのは、先ほど「二権分立」を唱えたと紹介したイギリスの思想家ロックです。

彼の思想は、のちのフランス革命における人権宣言などにも大きな影響を及ぼしていますが、そもそもフランス革命後の議会のベースにあるのは、「政府が勝手に税金を決めるな。税金を徴収される側の意見を聞け」という商売人や富裕層たちの主張でした。

税金を取られる側の理屈、つまり財界人の財産を守ることが議会の最大の関心事でした。

議会制民主主義は、金持ち階級の財産と権利をいかに守るかという関心のもとに生まれた制度であって、議会で守ろうとしていたのは、一般市民の人権や平等などではなく、既得権益であり財産。最初から、社会の普遍的な正義を守ろうなどと考えてはいませんでした。

一般意志が政治に反映されやすい「直接民主主義」

こうしたルソーの視点は、今の議会の状況を考えるうえでも非常に有効です。

つまり、候補者たちは選挙の時には一般向けに耳ざわりのいいことを並べ立ててしゃべるので、選挙の期間中だけは有権者は主権者のように扱われるし、そのような錯覚を抱かされます。しかし、選挙が終わってしまえば蚊帳の外に追いやられるだけなのです。

比例代表における自民党の得票率はたった3割程度というのはよく言われることですが、これは投票された有効票における割合の話。投票に行かなかった人、棄権した人も含めた有権者全体の割合で言うと、自民党に投票した人は2割にも達していません。

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