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現代社会では「自分らしさ」が不要とされる理由 ビジネスの論理に飲まれないための「ノイズ」

東洋経済オンライン / 2024年7月25日 11時0分

舟津:なるほど。それは論文と本の違いを考えるとすごくよくわかりますね。

現代の論文って、無駄なことは書かずに、必要なことだけ論理でつなぐものが論文である、とされています。それは正しいんですよ。ところがそうすると、例えば執筆動機は基本的に書かないことになる。でも、すごく面白い論文があったとして、「この人、なんでこんなこと知ろうとしたの?」って気になったりしませんか?

三宅:気になりますね。

舟津:でも、論文だと無駄とされることを、本では書けるんですよ。本は執筆動機や背景を書くことも多いですから。そういう意味で、本はノイズや雑味が入っている媒体だからこそ、魅力的に映るところはあるのかなと思いますね。

私の本を読んだ知り合いには「自分が出すぎだろ」と言われることもあります(笑)。でも、私はむしろわざとやっているというか、その点が逆に本のいいところだと思っていますね。

本はいろんな解釈ができて、読み返すたびに感想が違ったりすることがあるのも、本自体がノイズを含んでいるからだとも考えられます。無駄を排除した、洗練された効率性もすぐれていますけど、それを補完するものとしてノイズの概念もやはり必要なのだと思います。

三宅:今の話を聞いてすごい面白いなと思ったのが、自分らしさが、論文だと悪い意味でのノイズに、本だといい意味でのノイズになることです。

しかし現代のビジネス論理が支配した社会では、「自分らしさ」が「ノイズ」とされてしまう。学生さんたちの「社会が求める条件を追い求めて、自分の欲望を持てない」といった話もそこに関係しているのかなと。つまり、ビジネスの論理では、自分が替えが利かない存在であることが重視されず、替えが利くことが良しとされる。その結果、自分自身であることの意味が排除されてしまう。

でも、それってかなりディストピア的ですよね。それに論文では自分らしさが排除されてしまうのは、少しもったいないと思っちゃいますね。

自己分析では「自分の考える自分」がノイズになる

舟津:ええ、本当に。論文が筆者自身を排除して、客観的に書かれるべきだというのはわかりますが、自分が心血を注いだ創作物に対して「あなたを出すな」と言われるのも不思議な話ですよね。

おそらく、就活でも似たことが起きていると思います。例えば自己分析とは、他人から見た自分を表現すること。つまり自分がどう思うかは関係なく、他人との評価の中で自分を相対化してくださいということ。これって実は、「あなた自身の主観はどっちでもいいよ」と言われているのと同じです。

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