1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「原爆のキノコ雲が高校の校章」町の住民が許す訳 映画「RICHLAND」で描かれる米国の町の光景

東洋経済オンライン / 2024年7月26日 14時0分

アメリカ・リッチランド高校のアメフトチームのトレードマークは原爆のキノコ雲とB29爆撃機© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC

アメリカ・ワシントン州南部の町、リッチランドを描いたドキュメンタリー映画「RICHLAND(リッチランド)」が、東京・渋谷区のシアター・イメージフォーラムをはじめ全国で順次公開されている。

この町は第2次世界大戦中、核燃料の生産拠点で働く人と家族が住むためにつくられた。生産されたプルトニウムは長崎の原爆に使われたが、住民は町の歴史に誇りを持ち、「原爆は戦争を早く終わらせた」と考える人が多い。

地元リッチランド高校の校章は原爆のキノコ雲、アメフトのチーム名は爆撃機を意味する「リッチランド・ボマーズ」だ。

日本から見ると信じがたいが、なぜ彼らはそう考えるのか? 映画は住民と町の歴史、放射能で人が住めなくなった大地を冷静に映し出す。初来日したアイリーン・ルスティック監督に話を聞いた。

キノコ雲の絵があらゆるところにある町

第2次世界大戦中、オッペンハイマーらが原子爆弾を開発・製造したマンハッタン計画で、核燃料の生産拠点となったのがワシントン州のハンフォード・サイトだ。生産されたプルトニウムは長崎の原爆に使われ、その後の冷戦時には多数の核兵器の原料生産を担った。

【写真】核関連施設で働き、お金を稼ぐために多くの人々が暮らすようになった米国のリッチランド。

現在は役割を終え、土地の除染や建物の解体が続けられている。このハンフォード・サイトで働く人のベッドタウンがリッチランドだ。

――なぜリッチランドという町に注目したのですか?

前作の撮影中、たまたま1日だけリッチランドで過ごすことになったんです。

原爆のキノコ雲の絵がレストランや学校の壁など、あらゆるところにあることに驚きました。あれほど暴力的なシンボルが日常の中にあり、住民は普通に受け止めている。どういうことなのか知りたいと思いました。

私は歴史の中で解決できていないものと格闘している人々や場所に興味を持って映画をつくることが多いんです。表面的にはきれいでも、まだ深く掘り下げられていない過去がトラウマとしてよどんでいるような場所。リッチランドもそういう場所だったのだと思います。

映画には町の人が次々に登場する。核関連施設で働いていた人は「キノコ雲は殺しのシンボルじゃない。この町の業績だ」と語る。ここで働き子供を育てた人、幸せな子供時代を過ごした人、父親を放射線関連の病気で亡くした人、太平洋戦争に従軍した退役軍人、キノコ雲の校章に反対する元教員、生産拠点の建設で土地を追われたネイティブ・アメリカンもいる。

愛する場所が日本やアメリカ先住民に被害及ぼす

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください