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紫式部「宮仕え」友達に言えぬ程恥ずかしかった訳 宮中での煌びやかな印象とは対照的な見方

東洋経済オンライン / 2024年7月27日 11時0分

平安時代中期の公卿で日記『小右記』を書いたことで有名な藤原実資も、宮仕えについて「最近は、太政大臣や大納言の娘でも、父が死ぬと皆宮仕えに出るが、世間ではこれを嘆かわしいとしている。末代の公卿の娘は先祖の恥さらしというものだ」とまで日記に書いています。

また、関白を務めた藤原道隆の嫡男・伊周も「近頃は、高い身分の人の娘でも、皆、宮仕えに出るようだが、自分が死んだら、娘たちは好奇の目で見られることだろう。しかし、それは自分の恥になることだから慎んでほしい」との遺言を残したと言われています。実資よりはソフトな言い方ですが、やはり宮仕えは恥になることだと考えているようです。

宮仕えに対する冷ややかな見方があると受け入れつつも、清少納言は自分が宮仕えしていることもあり、どうしても宮仕えのよさも主張したいようでした。

「将来に大きな望みがあるわけでもなく、真面目に夫と家を守り、ささやかな結婚生活の幸せを思っているような人は、私には気が滅入るくらい馬鹿馬鹿しいものに思える。

相当な身分のある家の娘は、宮仕えをさせて、広く世間というものを見聞させ、典侍(上級の女官)などにして、しばらくお勤めをさせたいと思う」などとも言っているのです。さまざまな人と触れ合うことは、世間を知るきっかけになると清少納言は主張しています。

実際、娘が宮仕えすることは、家族にとってメリットになることもありました。実家の男性たちや、夫・息子の昇進に影響を及ぼす可能性があるからです。

紫式部と交流もあった赤染衛門は、息子の任官に精を出し、彰子に懇願、その望みを果たしています。

また紫式部の兄・惟規(※弟の説もあり)は、寛弘4年(1007年)に蔵人に任命されていますが、これも紫式部の宮仕えと多少は関係もあるのではないかとされています。

先程、紹介した藤原実資のような公卿であっても、養子の任官のために、彰子や女房に依頼したりしているのです。「天皇や皇后様に上手く取りなしてください」と頼み回る公家たち。そのような姿を目撃、いや体験することも、世間を知る1つの契機となったでしょうし、当時の女性たちの自尊心を満たすものではあったでしょう。

紫式部は宮仕えをどう思っていたのか

家にとって、実益となる面もありながら、男性たちは、なぜ、娘(女性)の宮仕えを「恥」「軽薄」としたのか。それは、宮廷での女房生活が、男女関係が乱れやすいものだったこともあると思います。

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