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紫式部「源氏物語誕生」裏にある"まさかの悲劇" 2歳の子を育てる紫式部を襲った突然の出来事

東洋経済オンライン / 2024年7月28日 8時0分

最愛のパートナーを何の前触れもなく亡くした、という点では19世紀から20世紀への転換期に2度もノーベル賞をとった、科学者のマリー・キュリーも同じ経験をしている。夫のピエールが46歳で馬車の事故によって亡くなると、やはり茫然自失となり、こんな感覚に陥ったという。

「太陽も花も、もう好きにはなれません。見ると胸が痛むから。あなたが世を去った日のような暗い天気のほうがまだ心が落ち着きます」

式部もやはり失意のなかで、外の世界の変化についていけなかったようだ。自身の心境について「花鳥の色をも音をも、春秋に行き交ふ空のけしき、月の影、霜雪を見て、そのとき来にけりとばかり思ひわきつつ」として、こんな心境を吐露している。

「花の色も鳥の声も、春秋に移ろいゆく空の景色、月の光、霜雪などの自然風景を見ては、そんな季節になったのだなとは思いながらも……」

続く言葉として「<いかにやいかに>とばかり、行く末の心細さはやるかたなきもの」とあるように、先行きの見えない将来への不安だらけだった。現代語訳すれば、次のようになる。

「心に思うのは<いったいこれからどうなってしまうのだろう>と、そのことばかり。将来の心細さはどうしようもなかった」

一方、宮中では、藤原道長もまた近しい人の死を体験していた。宣孝の死から約8カ月後の長保3 (1001)年12月22日、道長の姉にして、一条天皇の母・藤原詮子がこの世を去ることとなった。

そのため、式部は見舞客からの返歌として、次のように詠んでいる。

「なにかこの ほどなき袖をぬらすらむ 霞の衣 なべて着る世に」

「ほどなき袖」は「ほどなき身の袖」ということで、つまりは「取るに足りない私のような者の袖」という意味になる。現代語訳は、次のようなものだ。

「取るに足りない私が、なぜ夫の死のみを悲しんで袖を濡らしているのでしょうか。国中の人が喪服を着ている時に」

悲しみから逃れるように物語を書き始める

やがて式部は悲しみから逃れるかのように『源氏物語』を書き始めた。式部の綴った物語は、多くの読者の心をとらえ、その評判はやがて一条天皇や道長の耳にも届く。

そして、この『源氏物語』をきっかけにして、式部は道長の娘で、一条天皇の中宮である彰子のもとで、仕えることになるのだった。


【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)

真山 知幸:著述家

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