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トランプ暗殺未遂から聞こえる戦争への足音 「貧すれば鈍する」民主主義を破壊するもの

東洋経済オンライン / 2024年7月28日 9時0分

アテネのような古代人は、自ら政治に関心をもち、身を捧げることを自由の表現だと感じていたが、近代人は公的な政治よりも、私的な快楽に興ずることを自由の表現だと考えているというのである。

「古代人の目的は、祖国を同じくするすべての市民の間で社会的権力を分有することにありました。彼らはそれを自由と呼んだのです。近代人の自由は私的な快楽のうちに安寧に暮らすことであり、彼らが自由と呼ぶのは制度がこうした快楽に与える保証であります」(『近代人の自由と古代人の自由、征服の精神と簒奪』堤林剣、堤林恵訳、岩波文庫、2020年、30ページ)

近代人はまさに利己心の塊で、自分たちの個人的な快楽をより大きくするためにのみ、民主的制度を望んでいるということである。

それは、とりわけ政治を他人に任せ、自らは商業に励むことで、利益を上げ、自らの快楽を楽しむことができるからである。その限りで言えば、政治は誰か他の人にやってもらえばいいと考えているのである。

誰も彼もが国家の政治に関心を持ったフランス革命の嵐の時代を体験したコンスタンだからこう言えたのである。

それぞれが政治に関心を持ちすぎたことで、国家権力に魅せられて、反対意見を持つ者を抹殺していったあの恐怖政治時代の世界では、すべての人間が政治的でなければならなかった。それぞれが確信する共和制を実現するために、反対者を抹殺していったのである。

コンスタンは、代議制についてこう述べている。

「代表制とは、国民が自分ではできない、もしくはやりたがらないことを誰かにまかせるための組織にほかなりません」(前掲書、47ページ)

国家権力に積極的に参加することを誰かに委託するという点では、全体主義もある意味それと同じである。ただ民主主義は、その委託を自由に変えることができる点で優れている。

しかし、委託していることで、いつのまにか国家の意のままになり、自らの私的生活の安寧までも犯してしまうことになる点には注意しなければならないのである。

私的な生活での経済的幸福

そうならないためには、政治にも関心を持てるだけの、私的な生活である経済的幸福が実現されておかねばならない。そうでなければ、朝から晩まで生活のために明け暮れ、政治への参加など保証されないからである。

「貧すれば鈍する」という言葉がある。民主主義を維持するには、市民は貧しくあってはならないのである。民主主義は国民全体の経済的幸福を実現しなければ、その存在も危ういものになるということである。

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