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堀江貴文「一点突破」で始める英語習得のプロセス まんべんなく「お勉強」しても身につかない

東洋経済オンライン / 2024年8月3日 17時0分

彼は、日本のお笑い番組を見ながら日本語を学んだ。でもそのとき、分からない日本語をいちいち辞書で調べるなんて面倒はやらなかったと言う。

「だって、それをやると、楽しくなくなっちゃうんだもん」と。

AI翻訳を英語を学ばなくていい「言い訳」にするな

英語ができたらいいのに、と言いながら勉強しない人、サボる人。そういう人に多いのは、英語を頑張る人に嫉妬して、自分が頑張らない言い訳を欲しがる。

最近ではAI翻訳の進化がその言い訳の1つになり始めた。

海外と接したければ、グローバルに活躍したければ、英語は絶対に必要。英語ができるとコネクションの数と情報量が何十倍にもなる。英語ができない人は、それができる人と競争していることを自覚しなければならない。土俵に上がる前から不利なのだ。

POINT:little by little。少しずつでいい。勉強を「楽しい」ものに変えて続ける

とは言え、自分で目標を決め、アクセルを踏むためには、「学び」が不可欠だ。セミナーやオンラインサロンで「学校なんか要らない」と学校を否定する僕が言うと、矛盾を感じるかもしれない。

でも、僕が言う「学び」とは、没頭のことだ。脇目も振らずに夢中になり、がむしゃらに取り組める体験の全てが「学び」だと僕は思っている。

「学び」と聞いたとき、多くの人は、いわゆる「お勉強」をイメージする。散々暗記させられた公式や年号の数々。教卓や黒板、教科書、ノートなどの小道具。つまり、学校教育に準じたイメージだ。

「お勉強」と「学び」の決定的な違い

こうした「お勉強」と「学び」とを、僕は明確に違うものとしてとらえている。下の表にその分類を示した。「お勉強」は、あくまで受動的な行為である。先生の話を聞いたり、テストを受けたり、ドリルを解いたり。企業の思惑通りに動く社員を養成する研修も同じようなものだ。要は、「与えられたものをこなす」作業である。

※外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください

いくら「お勉強」をしても、「自分で行き先を決める生き方」にはたどり着けない。「お勉強」で身につくのは、敷かれたレールに乗る習慣だけなのだ。でも、「学び」を楽しんでいる人は違う。

没頭している人にとっては、正解が見つからないことも、みずから動かなければ取り組むべき課題が見つからないことも、没頭する対象がある限り全ては「楽しい」ことなのだ。だから彼らは好んで「トライアル・アンド・エラー」を繰り返し、成長していく。(日本語では「トライ・アンド・エラー」という言い方が定着しているが、英語ではtrial and errorである)

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