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国枝慎吾「金メダル4回」叶えたメンタルの鍛え方 こうして車いすテニス界のレジェンドになった

東洋経済オンライン / 2024年8月3日 15時0分

東京パラリンピックで金メダルを手にする国枝選手(Photo by Carmen Mandato/Getty Images)

「オレは最強だ!」

グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多優勝を達成し、「車いすテニス界のレジェンド」と称される国枝慎吾さんが、試合中に唱え続けたフレーズだ。この言葉には、国枝さんを世界一に導いた重要な秘密があった――。

世界一の選手を支えたメンタルトレーニングとは? 初の自著『国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム』から一部抜粋・編集して紹介する。

始まりは2006年

言霊は、人間の潜在力を目覚めさせる。

【写真】2023年に世界ランキング1位のまま引退した国枝慎吾さん

国枝慎吾を世界のトップに導いた有名なフレーズがある。

「オレは最強だ!」

この言葉はいかにして生まれたのだろうか?

2006年1月の全豪オープン出場のためにオーストラリアに渡った国枝は、ほかの日本人選手とともに試合会場の一角でアン・クインのカウンセリングを受けることになった。

その前の年の11月、国枝が拠点にしていた千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)が講師として招いたのが、アンだった。メンタル面をはじめ、フィットネスの原理、栄養、コーチの心構えなど、セミナーのテーマは多岐にわたった。

全豪オープンでのカウンセリングは、個別の面談になった。当時の国枝は英語を聞き取るスキルが十分ではなかった。アンの英語はかなり早い。論理的にポンポンと早口でたたみかけてくる。

国枝は明かす。

「アンの話す英語のうち、自分で理解できていたのは、2割、もしくは3割程度でした」

「オレって……世界ナンバーワンになれますかねえ」

通訳として同席していたのが、吉田仁子だった。1975年ウィンブルドン選手権でアン清村と組み、女子ダブルスを制した沢松(現・吉田)和子を母に持つ。

吉田は物心ついたころからラケットを握り、米国の大学に進んだことで英語も堪能だったため、うってつけの人選だった。TTCの理事長であった父、宗弘の指示でメルボルンに派遣されていた。

ここからは吉田の記憶を元に振り返る。

プレーヤーズラウンジで、アンは問いかけた。

「何か聞きたいことはある?」

唐突な質問に、国枝は「ええ?」と戸惑いを隠せなかった。

「何でもいいから」

吉田に促されて、恐る恐る、聞いた。

「オレって……世界ナンバーワンになれますかねえ」

当時、国枝は世界ランキング10位前後に停滞し、壁にぶつかっていた時期だった。アンが笑って、問い返した。

「あなたはどう思うの?」

国枝は一瞬、萎縮した。アンが続けた。

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