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義務教育段階で制服を着ないのはアリなのか? 生徒主導の「校則見直し」西武文理の場合ー後編

東洋経済オンライン / 2024年8月4日 9時30分

「衣服の乱れは心の乱れなんて、昔は言いましたが、心が乱れているのなら、心に寄り添えばいいんです。服装は生徒たちにとって、自己表現のひとつです。バイタリティを獲得する重要な手段なんです。その自由を奪ってしまうなんてナンセンスです。自由を与えられると最初はいろいろやってみるものですが、次第に落ち着きます」

北海道にある私立高校の教頭先生の弁だ。校則がなくなった途端におかしな格好をし始めるようならば、その状態で卒業させるほうが恐ろしい。また東京のある私立中高一貫校が1970年代に制服の廃止を決定したときに、校長から保護者に宛てた手紙には次のように書かれていた。

「あるいは、ひとによっては思いきって派手な服装をしてくることもあるかもしれません。そして、ある種の流行になるという心配もあります。しかし、そのような浮いた空気があるとするならば、すでにこの学校の教育に大きな欠陥があることを示すにすぎません。そのときは、服装よりも教育のありかたそのものを反省すべきであって、またそれに耐えられなくなって服装にうき身をやつす生徒の弱さは、別に解決すべきだと思います」

「衣服の乱れ」は、「心の乱れ」ではなく「教育の乱れ」だというのだ。どこまでが適当でどこからがやりすぎなのか、線引きは難しい。そのさじ加減を自分で判断する訓練だと思ってどんどん失敗して、いちど自分のなかに基準ができれば、あとはその都度適切に判断できるようになるはずだ。

12歳や15歳の偏差値で人格まで決めつける社会

一般には、偏差値が高い子どもたちには自由を与えても秩序が保たれるが、偏差値が低い学校で同じことをしたら学校が荒れると考えられている節がある。しかし、ペーパーテストで測られる偏差値で人格まで決めつけるのは、とんだ偏差値差別だと私は思う。

1970年前後の高校紛争で、一部の学力上位の高校では、自由を勝ち取ることができた。しかし多くの高校で、生徒たちの蜂起は鎮圧され、むしろ管理教育が強化された。そこで偏差値帯による自由の二極化が起きた。それが結果的に「偏差値の高い学校は自由、低い学校は管理される」という「常識」をつくってしまっただけである。

この社会では、12歳や15歳時点でのペーパーテストの点数で、「君は自律ができるひと」「君は自律ができないひと」というレッテルを張っている可能性がある。それによって青春時代に得られる自由や自己効力感にまで格差が生じるのであれば、その格差が子どもたちの人生に与える影響はおそらく、学歴格差がもたらす影響よりも甚大だ。

全国の高校や中学校でそれぞれのルールメイキング・プロジェクトが動き出し、「なーんだ。偏差値なんて関係ないし、ルールがそんなにたくさんなくても社会はちゃんと回るんじゃん!」ということがわかれば、偏差値差別がなくなり、日本社会全体の自律意識や自己効力感は底上げされ、投票率も上がるのではないか。

(前編はこちら)「校内スマホ禁止」は絶対か?動き始めた生徒たち 生徒主導の「校則見直し」西武文理の場合ー前編

おおたとしまさ:教育ジャーナリスト

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