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亡き娘の部屋に父が見つけた、悲しみ絶えぬ詩歌 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・葵⑧

東洋経済オンライン / 2024年8月11日 17時0分

御帳の前に、硯(すずり)などが散らばっている。光君の捨てた手習いの反故(ほご)を拾い上げ、涙を絞り出すようにして眺めている左大臣を見て、若い女房たちは悲しみながらも、ついほほえんでしまう。心打たれるような古人の詩歌が書かれているかと思えば、漢詩(からうた)も和歌もあり、草仮名や楷書や、さらにさまざまな目新しい書体で書かれている。

長恨歌の一句が書いてあるそばに

「なんてみごとな字だろう」と左大臣は空を仰いでため息をつく。これからは光君を他家の人としてつきあわねばならないのが残念なのでしょう。「旧(ふる)き枕故(ふる)き衾(ふすま)、誰とともにか」と長恨歌(ちょうごんか)の一句が書いてあるそばに、

なき魂(たま)ぞいとど悲しき寝し床(とこ)のあくがれがたき心ならひに


(亡き人とともに寝たこの床を、いつも離れがたく思っていた。この床を離れていったその人のたましいはどんなにつらいことだろうかと思うと、悲しくてならない)

とある。また、「霜華(しものはな)白し」とこれも長恨歌の引用の近くに、

君なくて塵(ちり)つもりぬるとこなつの露うち払ひいく夜(よ)寝(ね)ぬらむ
(あなたがいなくなって、塵も積もった床に、常夏(とこなつ)の露──涙を払いながら、幾夜ひとりで眠っただろう)

と書いてある。先日、文とともに母宮に送った時に手折(たお)った花なのだろう、常夏(撫子(なでしこ))が枯れて、反故の中に落ちている。左大臣はそれを母宮に見せて、泣いた。

「いくら嘆いても詮無いことで、こんな悲しい逆縁も世間にないわけではないと自分に言い聞かせて、あきらめようとしてきた。けれどこの世での縁が短すぎた。親を悲しませようと思って生まれてきたのかと、この世で親子の縁を結ぶことになった前世の因縁を恨んでは、悲しみを紛らわせているけれど、日が過ぎれば過ぎるほど娘が恋しくて恋しくてたまらないのだ。その上、光君がこれきりこの家の人間ではなくなると思うと、胸が張り裂けそうだ。今日はお見えにならない、今日もまたお見えにならないと、足が遠のいていらっしゃった時も、胸を痛めていたが、朝夕に射しこむ光のようだった人がいなくなってしまったら、どうやって生きていかれようか」

こらえきれずに声を上げて泣き出すと、母宮の前に控えていた年配の女房たちも悲しみに沈み、いっせいに泣き出してしまう。じつに寒々とした夕べの光景である。

若い女房たちはところどころに集まって、それぞれしんみりと話し合っている。

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